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歩き続ける競艇、そして哲学
久しぶりに競艇場で生のレースを観戦した。初めて競艇に触れる同行者は、ヤクルトスワローズの大ファンで、山田哲人と一文字違いの山田哲也選手に肩入れし、その文字が入った舟券を買って面白がっていた。
ふと電光掲示板のオッズを眺める。客席は閑散としていた。締切が迫る中で、屋内の投票券売場はそれなりの賑わいを見せているのだろうか。テレボートの向こうにはその何倍もの参加者がいて、飛び石の平日であっても、数千万円の金が集まり、それらはパリミチュエルな数字となって光っている。
オッズは、大小様々な意思の集積だ。楽しみたい人、一山当てたい人、堅実にお金を増やしたい人。それらを嘲笑うかのように「期待値」を計算するアルゴリズムだって、その背景には制作者がいる。彼らには明確な意思がある。直前に多額の投票をする謎の人物も、ルーキーの甘いマスクに熱を上げる彼女も、年金暮らしの老父も、私も、何らかの意思を以て投票している。その結果がオッズだ。
人間という存在を理解しようとする学術的な活動は、主に「哲学」と呼ばれる。競艇などという世俗的な市場においても、そこに人間が存在する限り、人間の意思のみでそれが形成される限り、哲学がメスを入れる余地はある。
ここでふたつの問題を哲学者に投げかけてみよう。
① 今日の平和島1Rの決着はどうなるか。
② 今日の平和島1Rの参加者はどう振る舞うか。
これらは、明らかに難問だ。しかしその問いの質が明らかに異なる。
哲学者はどちらに興味を示すだろうか。
多くの参加者は、目の前のレースがどういう決着を迎えるかを考えている。あるいは、どうなりやすいかを考える。それがオッズと比べてどうなのかを計算したり、直感で推測する。哲学者は、そんな①の問いに向き合う人間そのものに興味を向ける。
②の問いは、①の問いより高次に存在する「メタ的な質問」にほかならない。
我々は、短い人生をどちらの問いに費やすべきなのだろうか。これは、あなたが哲学者としての素質があるかどうかに依拠する。素質と表現すると何だか仰々しいが、こんなものなくたって何も困らない。単なる性質の問題だ。
①の問いには正解がない。ピエール=シモン・ラプラスは「ある特定の時間の宇宙のすべての原子の運動状態が分かれば、これから起きるすべての現象は計算できる」と考えた。今ではその考え方に懐疑的な意見も多い(筆者自身その立場である)が、とりあえずそれをそのまま信じてみることにしよう。モーターについて、選手の心情や腕について、水面・気象条件、磁場……情報をすべて正確に知ることができれば、三周のうちに何が起こるか、着順がどうなるか、完璧に予測できる。あなただけそれができる世界なら、あなたは競艇で必勝する。
しかし、すべての情報を正確に知ることはできない。選手が何を考えているかなんてそれこそ物理的に分からない。我々は無知であるが故に、①の問いに答えを出すことはできない。
そんな曖昧で偶然性に支配された競艇を、人間という存在たちが「遊んでいる」のだ。大小様々、意思も様々、それでも最後はひとつのところに金が集められ、オッズとして立ち現れる。そう、中身までは分からなくても、情報はすべて出揃う。
公平を期すために書いておくと、②の問いにもおそらく正解はない。しかし、人間という存在については多くのことが分かりつつある。意思決定に及ぼす様々な状況について、学者は格闘し、考察し続けている。
①の問いは、立ち止まっている。②の問いは、歩き続けている。
目の前のレースに目を向けてみよう。あなたはなぜ今4号艇が捲らなかったのか理解できるだろうか。推測だけでもいいからしてみてほしい。スタートが足りなかったのか。放ったのか。水面が捲りに適していないと判断したのか。あるいは忖度、八百長? 考えても無駄だ。分からない。
ではなぜ、そのレースでは4-5が売れていたのだろうか。そもそも「売れていた」と判断していい安さだったのだろうか。展示タイムの派手な差は、どれだけオッズに影響を及ぼしたのだろうか。似たような組み合わせのレースは山ほどある。そこから何か手掛かりは得られないだろうか……。あれ、もしかしたら分かるのではないか?
あなたは答えを探すべき問いを間違えているかもしれない。いや、間違いと言ってはいけない。①の問いを考えることは悪いことではないのだ。全員が①の問いを放棄したら、公営ギャンブルは間違いなく廃れてしまう。人は答えのないところに答えを見つけた気になったとき、達成感という名前のついた快楽物質を手に入れるのだ。
もしかしたら、あなたは本当は②の問いに取り組みたいのかもしれない。そう書いておこう。
客席に人が戻ってきた。締切を告げる合図が鳴り、数分もしないうちに白から緑の舟がスタートラインについた。
これからどうなるかは分からない。モーター音が空気を伝ってこちらの耳に届く。ワクワクするボリュームだ。航跡が上がって、1Mの攻防戦はモニターで観ることになるだろうか。
そのとき私だけ、舟を眺める観客たちに目を向けていた。もしかしたら私だけではないのかもしれないと、少し期待をしながら。