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13日の木曜日


 誕生日が13日であるせいで、これまで幾度となく言われてきたことがある。「金曜日じゃなくてよかったね」もしくは「金曜日じゃん!」だ。適当な相槌も板についてきて、最近では自然な笑顔も作れるようになっている。
 13日の金曜日は、世界でも類を見ないほど浸透した迷信だろう。グレゴリオ暦を採用していれば、どうしたって1年の間に必ず1回以上、最大で年3回も現れるので、本気で心配しても仕方ないのだが、人はこういう話が好きな生き物である。血液型の性格分類を見れば一目瞭然だ。人は迷信と共に生きている。

 2021年11月6日の住之江はオールイン逃げ決着だった。12Rでは逃げ決着が相当に売れて、大衆の期待に応える1-2-3でゲームセット。「今日は逃げの日だ」というセンチメントが多かったことだろう。
 「逃げやすい水面」などというものが仮に存在するとしても、それが連続するかどうかは純粋に偶然なので、これも迷信の一種といえる。逃げやすい日の逃げ率が平均して60%だとすると、0.2%の確率で12連続逃げることになる。合計5,000日くらい開催している競艇であれば、年間10回程度はお目にかかる「ツラ」である。
 それでも人は、偶然の中にパターンを見出したがる。そうでなければ生きていけなかった理由がちゃんとあるからだ。

 私たちにとって最大の恐怖は何だろう。意見が分かれるところだが、死に対する恐怖は異論の少ないところだろうか。そして死の恐怖とは、死後どうなるのかさっぱり分からないというところから来ている。永遠の苦しみかもしれないし、完全な無かもしれないが、科学は答えを出してくれない。だから宗教にすがる人が多い。宗教はたとえ迷信であろうと答えをくれるからだ。
 人は、何がなんだか分からない状況を怖がるようにできている。街中で挙動不審な人間に出くわしたとき、突然大きな音が聞こえたとき、本能的に恐怖心が芽生えるのだ。
 その恐怖心に打ち克つためには、直面した出来事に「もっともらしい説明」をつけてやるのが一番だ。説明がつけば、それに根拠があろうとなかろうと、世界は予測可能な正常の状態に戻る。嗚呼、彼女はB型だからこんなに自由気ままなんだ。だったらこうしよう。

 そういう理由があってプログラムされた迷信は、科学が発達したところで容易には消えてくれない。霊長類ヒト科ヒトは、科学との付き合いより遥かに長く、この世の理不尽な偶然性と付き合ってきたのだ。
 嫌なことが突然起こるのは怖い。だから「13日の金曜日」で準備をしておく。4や9がつく日、仏滅、厄年。どんなことであれ、そこに理由があれば世界は自分の手の届く範囲におさまる。

人間は象徴化し、概念化し、意味を求める生き物だ。自らの経験の意味を理解したい、それに形式と秩序を与えたいという欲求は、馴染みのある生物学的欲求に負けず劣らず本質的で切実なものだ。

- クリフォード・ギアツ

 幸いにも今年の誕生日は金曜日ではないものの、他の手を打っておかないと。迷信はときに切実である。


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