競艇の本質について
数ある公営ギャンブルの中で競艇を選択した同志。
競艇の面白さについては手放しで共感してくれることでしょう。
そして同様に、競艇の「勝ちにくさ」についても。
6艇によって行われるモータースポーツ。
その着順を当てるだけ。
そりゃあ一日やれば当たります。3連単ですら120点しかないのです。連勝だって珍しくない。1点でぶち当てた経験だってあることでしょう。1/120です。ランダムに選んでいても120レースに1度は当たりますよ。たいしたことではありません。
でもどうですか。月にどのくらい浮いていますか。
6艇の着順を当てるだけの簡単なギャンブルなんです。
数日勉強すれば誰だって予想くらい立てられるようになります。
得られる情報だって多いです。予想屋も腐るほどいます。
それでも私たちは負け続けます。
競艇はマイナスサムゲームです。
私たちが持ち寄ったお金は、そこから25%が引かれ、当選者の口数に応じて均等に分配されます。
全員が幸せになることは「物理的に不可能」なのです。
ガチガチの本命しか買わない隣のオッサンが今日いい酒を飲めるのは、あなたが最終レース、よくわからない穴目にいつもは賭けないような額を突っ込んで玉砕したからです。
でも隣のオッサンの顔なんて見えませんよね。
負けたら惨めな気分になるけど、勝った誰かに怒りを向けることは難しいです。
そうすると私たちは敵を見誤ります。
「あいつが下手くそだからだ!」
「なんだよ、あのやる気ないターンは!!」
「八百長だろあんなの!!!」
呪詛は止まりません。
そうしてまた日付が変わると、「今日は勝てるだろう」という根拠のない自信でテレボートにログインするのです。
分かります。誰だって通る道です。
でもそこから一歩抜け出したいのでしょう?
どうせ一生続けるんです。こんな面白いギャンブルありませんからね。
競艇なんてうまくなったところで、誰から尊敬されるわけでもありません。
履歴書に書ける何かが残るものでもありません。
それでも私たちは「勝ちたい」んです。
だったらやるべきことはひとつしかありません。
競艇というギャンブルの「解体」です。
私ごときの手ほどきでは心許ないかもしれませんが、何かのきっかけになれば幸いです。
なぜ上達しにくいか
競艇をやっていると、誰にでも「悦に入る瞬間」が訪れます。
本格的に始めてから半年くらい経った頃でしょうか。
展示の観方も薄ぼんやりと分かってきて、なるべく少ない点数で穴を拾う経験も積んで、最終レースでひと捲りする快感も覚える。思い描いた展開がバシッとハマって払戻金が2万を超えたりする。
巧くなったな、そう思う頃合いです。
ここらへんに差し掛かると、人は負けたレースを振り返らなくなります。
負けたときはついてない、勝ったときは実力。
どう見てもレアケースな展開だったのに、購入した舟券が的中したかどうかでそのレースから受ける印象が変わってきます。
成長が止まる瞬間です。
「外したレースを正しく反省する」という冷静な視点を持つことは難しいです。
「的中したレースでも反省する」という冷徹な視点を持つことはさらに難しいです。
ここに競艇の上達のしにくさがあります。
知識を蓄えることは誰にでもできます。
競艇場でぼんやりと酒を飲んでいるオッサンだって、戸田では4カド捲りが決まりやすいことくらいは知っています。
あなたがバカにしている予想師だって、モーターの2連率の読み取り方くらい心得ています。
そこで差がつくのはせいぜい回収率90%までです。
そこから先、競艇で「勝つ」ためには、知識以外の部分が必要になってきます。
認めたくないかもしれませんが、それは「感覚」なんです。
あれもこれも知っているあなたが、なぜ競艇という単純極まりないギャンブルで負け越しているのか。
それは「感覚」が「間違っている」からです。
もっと言えば「期待値感覚」が「近似値から離れている」からです。
よく取りざたされる「感覚を研ぎ澄ます」という抽象的なことについて、本論ではかみ砕いて説明していきます。
感覚を言語化することは困難です。
困難だから誰もやりません。
誰もやらないことに「上達のヒント」はあります。
競艇は未来を見通すギャンブルではありません。
隣のオッサンから、Twitterの予想師から、ビギナーズラックの若者から、
「金を奪う」ゲームです。
隣のオッサンと、Twitterの予想師と、ビギナーズラックの若者と、
「期待値感覚を競い合う」ゲームです。
知識を得たあとは、効率的に感覚を研ぎ澄ましましょう。
隣のオッサンが何十年と同じ感覚でいる間がチャンスです。
Twitterの予想師が気持ちよくドヤ顔をしている間がチャンスです。
ビギナーズラックの若者が、何かに気づいて本物に化けるまでがチャンスです。
それでは「競艇の期待値感覚の本質」を説明していきます。
経験と統計
あなたは今賭けたレースの「的中率」を知っていますか。
月の的中率ではありません。「今賭けたレースの的中率」です。
そんなもの分かりませんよね。
競艇は当たるか外れるかの1/2なんですから。
あ、でも1号艇から2着2艇、3着は流していますか。
ということは「おおよそ50%の確率で1号艇が逃げるギャンブル」で「20通りの中から8通り」選択したのですね。
算数をすると20%になりました。
ちょっと待ってくれ、この2着に選んだ奴らは腕があるし足も良い?
ならその2着率を計算に加えて……。
ここで計算はストップします。
「イヤイヤ、俺はいつも同じ基準で賭けているんだ。だから年間の的中率がそのままそのレースにも当てはまるはずだ」
なるほど。ということは年間の的中率が35%のあなたは、いま買ったレースが35%程度当たると踏んでいるわけですね。
ここでふたつ疑問が生まれます。
「同じ基準とは何か?」
「本当に同じ基準なら、なぜ1レースあたりのベット額が違うのか?」
少し話は逸れますが、私はあの「追い上げ投資法」っていうのが常々疑問なんですよね。
投資法としての理屈はさておき、「レートに差をつける合理的根拠が希薄」だと思っているんですよ。
二倍の額を賭けるって、二倍の期待値がないと成り立たない行為なんですよね。
その日にプラスで終わりたいのは分かりますが、「追い上げをしたい」というメンタルそのものが既に投資向きではないと言えます。
投資法が何であれ、このくらいは毎回自問してください。
あなたの「勝負レース」は本当に勝負に値するレースなのか。
ただ単に熱くなっているだけだと赤面した方、あなたはセンスがあります。
その通りだからです。
いろいろな基準で、賭けたいように賭けて、それが集まった値が「的中率」であり、
気分と手持ちの金でレートを上げて、たまたまそのときに当たりを引いたかどうかで大きく左右する値が「回収率」なのです。
世のギャンブラーの99.9%は、そんな曖昧な統計のもとで日々ギャンブルを楽しんでいます。
それでは「反省」のしようがないじゃないですか。
上達のためには論理と感覚が必要ですが、その「論理」にあたるところの「統計」が、こうも曖昧なままでは、感覚の磨きようがありません。
磨かれた気になっただけです。
とあるレース。インがしっかり逃げてくれたものの、ヒモが抜けて外れたとしましょう。
「ほほう、軽視していた4号艇は展開次第では残せる足があったのか。でも今回はたまたま3号艇がスリットで凹んでくれたからこうなったものの、平均STはかなりいい選手。これはレアケースと割り切るべきか。問題なのは、今回と似たような条件で《4号艇を切る》を選択し続けた場合に、 点数を節約して配当を得るプラスとヒモ抜けで払戻しがゼロになるマイナスが釣り合っているかどうかだ。その感覚を試されたいいレースだった。ここで無闇に感覚を固定するのではなく、次に似たようなケースを経験したときにどうするかのデータとして蓄積しておこう。そうだ、この前のレースは切ったあの選手がちゃんと沈んでくれたけど、あれもスリットが少し違ったら残っていたかもしれない……」
本気で競艇で勝ちたいなら、せめてこのくらいは考えてください。
経験をどれだけ蓄積できるか、これは回顧と反省の「質の良さ」に比例します。
平均STが.12の選手がドカ遅れしたのなら、それはだいたい「仕方ない」こととして割り切るべきですが、そのドカ遅れを予見できる材料が本当になかったかは顧みる必要があります。
実はレース後の方が忙しいのです。
こうして蓄積していった「経験」は「統計」として優位に働きます。
しかしながら、ただいたずらに一喜一憂しているだけでは「経験」は「経験」のままです。
「正しい統計」は感覚にいい影響を及ぼしますが、「単なる経験」は歪んだ感覚を作っていきます。
3着は流せ。
これは歪んだ感覚の典型です。
3着が抜けて外れたケースが、絞って回収率が高かったレースよりも色濃く脳裏に焼き付いている人が生み出した言葉でしょう。
流した方がいいケースでは流す。
これが冷静な思考というものです。
流さなくてもよかったレースで無駄に買ってしまった1-2-6を、買わずに外してしまった1点と同様に顧みることができますか。
できるようになれば、あなたの経験は統計へと変貌していきます。
では、その統計から「感覚」を「研ぎ澄ます」ステージへと上がってみましょう。
統計と感覚
一度として同じレースはありません。
それなのに統計はとても役立ちます。
しかし統計だけでは勝つことはできません。
一度として同じレースがないからです。
なんだかややこしい話です。
でも結論は見えています。
そのレースに賭けるかどうかの最後の砦は「感覚」です。
「俺はこのレース、インが逃げる確率は80%と見ている。スリットも揃う可能性が高い、カドに強い選手もいない。1号艇の逃げ率も77%と腕は信頼に値する。ということは1-9-9で購入すれば80%当たるわけだが、それではガミってしまうな。この中で圧倒的に実力が劣る⑥は切ってもいいだろう。10走やって2回しか3着にならない④はこの足では厳しいか。②はスタート悪いから③に呑み込まれる公算が高い。1-35-235で買おう。4点なら……お釣りが来るな。ここまで絞っても経験上的中率は80%の半分くらいか。40%の確率で当たるならプラスだな。よし、賭けよう」
統計的経験と感覚が混在した例です。きわめて冷静な思考ですが、こうやって舟券を購入している人がいったいどのくらいいるでしょうか。
ここで一番大事なのは「経験上的中率は80%の半分くらいか」という部分です。逃げ率を80%とするのは統計として判断できますが、ではここまでヒモを絞って40%とはどこから弾き出されるのでしょうか。
そう、「感覚」です。
感覚を研ぎ澄ましていくために一番手っ取り早いのは「似たようなレースばかりをやり続ける」ということです。
目についたレースを手あたり次第やっていくのは得策ではありません。
上記の例でいえば「インが逃げる確率は80%」というところがポイントです。
こういったレース選択の基準を持っていれば、あなたの的中率はそのまま「イン逃げ80%レースを的中させることのできる確率」に収束していきます。
さらにその中からヒモが②③どちらかに絞れるレース、内決着のレース、アウトが絡むレース、などといった細分化までできれば、あなたの蓄積は有益な統計へと近づいていきます。
何だっていいんです。場を固定してみたり、特選レースに絞ったり、4角まくり濃厚なレースばかりやったっていい。
そうすると何が起こるか。
いま向き合っている「そのレース」の「期待値感覚」が正常になっていくのです。
適当に「これ40%当たるな」から、今までの経験から「40%程度の的中率と断定できる」の領域に近づいていきます。
可能性が有限にとどまらない「競艇」において、「個別の的中期待値」を計算することは不可能です。
そもそも安易に期待値(論理)なんていう言葉を使ってはいけないギャンブルなのです。
ならば私たちは期待値「感覚」で勝負するしかありません。
そして「このレースに賭けることは得だ」という「感覚」の根拠は、統計的経験でしかありえないのです。
さて、的中期待値の次なるステップである「回収期待値」の話に入る前に、再三述べている「反省」という行為についての注意点を書いておく必要があります。
不的中のマジック
外れるとムカつきますよね。悔しいし、萎えるし、もう競艇なんてやめてやると啖呵を切ってしまいたくなります。
でも不的中って当たり前なんですよ。
「外したくない」という思考はノイズです。
競艇に限らずギャンブルは「プラスとマイナスが相殺し合っての最大プラス」を目指すものだからです。
ここで先ほどの感覚が生きてきます。「これは鉄板」などという曖昧な感覚では、いつまで経っても「当てたい病」の患者のままです。
これはこのくらいの的中期待値がある、という感覚があれば、外れたときに「その感覚が誤っていたのか」「許容すべき確率のアヤなのか」の判別がつくようになるのです。
分かりやすい例を挙げます。
自分が1-23-234で購入しているとしましょう。インから逃げて②が差して③が捲って④が追走。ウルトラオーソドックスなレースです。
スリットも揃いました。思った通りの展開で1Mを過ぎます。2Mに差し掛かるまで1-2-34で競っている理想的な隊形。あなたは的中を確信して画面を閉じようとしました。
そのとき、2Mで③④が思いっきり抵抗しあって流れていきました。
内側を「回っただけ」の⑥がうっかり3着に。そのままゴールし、1-2-6のイン逃げ万舟。⑥はB2の若手でした。
これ、仕方ないですか?
仕方ないです。これこそが「許容すべき確率のアヤ」なのです。
年間5万レースもある競艇、転覆だってフライングだってつきもの。最終マークで抜かれること、思わず八百長を疑いたくなる周回、そんなの腐るほど見ます。
こういうのは「管理費」として勘定しないといけません。反省する必要だってないのです。こういうレースで反省した気になるのはただの自己満足です。
よくいるんですよ。
舟券が外れるたびにスタイルを変える人って。
ある程度「感覚」を固定したら、そこから最低300レースは「同じ感覚」で打たないと何も見えてきません。
舟券を外すのは苦しいです。痛いです。だからといって、真に受けるべき不的中とそうでないものの区別をしないと、どんどん沼にハマっていきます。
感覚の固定
では「感覚を固定して打つ」とはどういうことでしょうか。
それは「同じ基準でレースを選択」して「同じファクターで買い目を選択する」ことです。
え、それって感覚じゃなくない?
いえ、感覚という実体のないものを扱うからこそ、その外堀は論理で埋めないといけないのです。
あなたが展示の眼に自信があるとしましょう。
そんなあなたが展示を観ずにレースを買うことは論外ですが、その日の気分で「コイツは展示で良くないけどあまりにオッズがいいから」なんて感じで買い目の選択をブレさせるのも得策ではないです。
それでは己の展示眼の成長からどんどん遠ざかっていきます。
感覚の統計をとるためには、そもそも統計として「固定」されていないと役に立ちません。
統計学では条件を固定することを「偏微分」といいます。
様々なファクターをごっちゃにしてうろうろするより、
無理やりにでも「展示で一番よかった選手を軸にする」という方法で偏微分を試みる方がよっぽど効率的です。
別に「勉強代」などといってお金を注がなくてもその統計はとれます。
ある程度集まったら省みてみましょう。足りない条件は何だったか。腕なのか、モーターの素性なのか、はたまた展開考察なのか。
そうやって丁寧に進めていくのが「勉強」です。
私事ですが、過去2年半にわたり、約9000レースの「イン逃げ信頼度90%」の統計をとり続けました。
イン逃げ率は92%と、なかなかの好成績を記録しています。
これならもう同じ条件下で「1から」の舟券を買うことに抵抗はなくなります。
あとはヒモを選択することに注力すればいいのです。
8%の荒れ模様に一喜一憂はしません。
「8%を引いちゃったな」と思うだけです。
悔しいですけどね(笑)
あなたのファクターが統計的裏付けのもとに「感覚」として醸成されたとき、あなたは回収率プラスの権利を得たと言えます。
ここから先は「回収期待値」の領域です。
ようやく「オッズ」という得体の知れない概念に挑むときが来ました。
回収期待値
競艇で一番差がつくところはどこでしょうか。
各競艇場を熟知している、選手のクセをたくさん知っている、展示での異常を見抜く能力がある……などなど。
そういった「知識」は「些細な差」にしかなりません。
競艇に限らず、ギャンブルにおいて圧倒的に大切で、最も他人と差がつく点。
それは、「賭けるかどうかの判断」です。
どれだけ知識と経験を積み上げても、肝心の判断局面で誤ってしまったらすべて水の泡なのです。
競艇は、参加しなければならないレースというものが決められていません。年間約5万レース、私たちは好きなレースに好きなだけ賭けることができます。
単にレースを選択するという話だけではなく、選択したレースに「実際に賭けるか」「いくら賭けるか」の判断こそが肝心かなめ、私たちが気づかないうちに躓いている「競艇の本質」なのです。
ここでようやく「オッズ」がファクターに入るときがきました。
競艇は3連単が多く買われているため、必然的に予想の話は3連単を基準とすることが多いです。しかしそのためには「合成オッズ」という概念を導入しなければなりません。本論では考察を簡易にするために2連単の1点買いを例にとって進めることとします。
合成オッズについては別の機会に譲りましょう。
さて、回収期待値とは、
的中期待値×オッズ
であることは言うまでもないです。
1-2の2連単が2倍ついていたとします。このとき経験から推定される的中期待値が50%だったとしたら、そのベットは50%の確率で2倍になるので、回収期待値は100%となります。
ということは、的中期待値50%の場合に回収期待値がプラスになる境界線は「オッズが2倍」からということになります。これは簡単ですね。
先ほどの人にもう一度出てきてもらいましょう。彼は的中期待値40%と見積もっていました。彼の経験を信じるなら、彼の買い目のオッズは「2.5倍」以上ないとプラスになりません。
ではどう頑張っても2.5倍を超えないときはどうするか。
冷静になったあなたなら答えはひとつなはずです。そう、「見送る」のです。
ここで「せっかく予想したんだし、40%は当たるんだから」と考えてお金を賭け続ける人が負け組なんです。
「いやまぁ50%くらい当たるんじゃないの」とせっかくの的中期待値感覚をブレブレにさせてしまう人が負け組なんです。
つまり、買い目が決まって、的中期待値を見積もれれば、あとはオッズを見て自動的に投資すべきかが判明するのです。
悩む余地なんてありません。
悩む人はまた的中期待値が正常に見積もれていないだけ。
レース前はどこに頭を使うべきか。それは、買い目をどこまで絞れば期待値のバランスがとれるかという点です。
これも合成オッズの話をしないと先へ進めないので、また別の機会に譲ることとします。
的中期待値の算出には時間がかかります。ファクターを論理的に固定して、試行を重ね、修正し、集まったデータをもとにして的中率を出す。
回収期待値に関してはまだ楽です。プラスされる概念はオッズだけなので。
しかしここで圧倒的に差がつくという事実は受け止めなければなりません。
競艇は突き詰めれば他人の勘違いに付け入るゲームなんです。
勘違いの集合体、言い換えるなら「おいしいオッズ」を追い続ける。
みんながみんな正常な判断をしていたら、全レース回収期待値が「75%」になるはずですよね。国にそれだけ持っていかれるんですから。
それを100%以上にしたければ、勘違いの総量が少ないレースには手を出さないことです。
あ、誤解しないでくださいね。誰も思いつかないような穴を狙えって言っているわけではありませんよ。
たとえオッズが5倍でも、正常値が4倍ならそれは「おいしいオッズ」です。
回収期待値の計算にだけ頭を働かせていればいいのです。プラスになるならそれは何倍だっておいしいオッズだし、誰かが何かを勘違いしている証拠なのですから。
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さて、長々と書いてまいりましたが、結局どうやって予想すればいいのかという声が聞こえてきそうです。
正解を求めたがるのはホモサピエンスの大切な習性なので別に構わないのですが、ことギャンブルに関しては「正解」を言い切ることは罪だと思っています。
世の予想家が、なぜ安易に正解を言い切ろうとするのか。
結論めいたことを書かないと派手じゃないからです。
本質とは時として地味なものです。
私たちは期待値感覚という得体の知れない概念を取り扱うのです。これは地味で苦しい作業になります。
正解はあるんです。でもそれを計算しようとか断定しようなんて思ってはいけません。
私たちにできるのは、せめて正解の「近似値」に迫っていけるよう、冷静に物事を判断し、分析し、解釈し、次へと繋げていくことだけです。
漫然と賭けていて面白いならそれでいいのです。所詮ギャンブル。借金さえしなければ、人生の慰めとしてこれほど有意義な趣味もないと思います。
しかし、あなたは「勝つ」ことが何よりも喜びになると知っているはずです。
負けた後の言い様のない喪失感を知っているはずです。
勝ちたいなら道はひとつです。
その入口にあなたは立っています。
進むかどうかはあなた次第です。
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