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 いつものようにレモンサワーとハイボールを買い込んで、古くさいインターホンを押した。甲高いベルに重なる、やや軋むような音。内藤の痩せこけた顔がドアから覗いた。
「やあ」
 家主は目を少し見開くようにして笑った。

 内藤との関係は一年に満たない。
 バイト先で知り合った同年代の同性。お互いフリーターで、趣味も女っ気もなく、意気投合を少し薄めたような間柄になるまで時間はかからなかった。最初は安い居酒屋でジョッキを重ねていたが、それすら痛い出費となるフリーター同士である。まだ整頓されている方、という理由で、内藤の自宅での飲み会が繰り返された。
「これ」
 いつものようにレシートを差し出す。
「パイの実とか絶対いらんやん」
「欲しくなったときにないよりはマシだろ」
「それもそうか」
 内藤は苦笑しながら、折半の金を差し出してきた。

 見慣れたワンルームに、かすかな違和感を抱いたのは、二缶目が軽くなってきた頃だった。
「こんなんあったっけ」
 人差し指を向ける。その方向に内藤の目が流れた。
「ああ、これ」
「なんかのレアもの?」
「いや。市役所の河原で」
 市役所の河原。地元民ならそれで通じる。川沿いに建てられた小さな市役所は、河原で遊ぶ家族連れにとっては風情の邪魔となる存在だ。
 棚には、少し大きめの石が置かれていた。
「なんで石なんか」
「石なんか?」
 相変わらず半笑いながら、内藤の目には、何も寄せつけないような妙な光が差していた。
「変わってるな、お前」
 そう返すのがやっとだった。内藤の目に湛えられた光がほんの少し弱まった。
「それはそうと、この前話した女いたじゃん」
 話を変えようとした。
「うん」
「返信遅いんだよ。これ脈ないのかな」
「そんなすぐに結論出さなくてもいいんじゃない」
「いや、返信も、なんか短いんだよ。うん、とか。顔文字もなし」
「好きなの?」
「顔がな」
「顔なんていつか」
 内藤は短い間のあとで、
「いつか変わるじゃん」
 そう続けた。


 深夜のコンビニは案外やることが多い。それでも暇なタイミングはあって、いつものように内藤と二人でレジにぼうっと立ちながら、時間を塗り潰すような話題を探った。
 刺激のない人生だ。話のなかでくらいぱっとしたい。先刻缶ビールを買い求めに来た、いかにも水商売然とした女性客を餌にした。
「内藤はああいう女どうよ」
「ああいうって?」
「ほら、さっきの缶ビールとサラダチキンの」
「缶ビールの罪悪感を少しでも和らげようとしてるのかなって」
「じゃなくてさ。抱きたくなるか?」
 内藤はいつもの優しげな苦笑いで、
「別に」
そう答えた。
「別にってことはないだろ。俺はさ、ああいう女見ると無性に汚したくなるんだよな」
「汚したい?」
「そう。なんか気取ってるじゃん。絶対自分のこと美人って思ってるんだよ」
「そうかもね」
「だろ? だから汚したいの。俺、ヤバいこと言ってる?」
 内藤はおもむろにホットスナックのプレートを取り出し、洗い場に置いた。
「ヤバくないと思うよ」
 内藤の乾いた声が店内に響いた。
 ずっとかかっているせいで覚えてしまった流行り曲。
「ヤバくないよ。普通だよね」
 内藤はそう重ねた。


 石はまだそこにあった。
「朝から飲むのって俺らの特権だよな」
 勤務終わりにあえて別のコンビニで買い込んだ缶チューハイを小さい机に並べる。
 内藤の様子がおかしかった。時折遠くを見つめるような素振りをしたり、いつもはしないようなミスを繰り返したりと、「朝方の宅飲み」に誘いたくなる理由が散見された。
 女の話を振ったときの内藤に、いつも違和感があった。
 その正体を確かめたい。いや、打ち明けて欲しい。
 刺激のない人生だ。友達と呼べる存在もいない。バイト先の同僚。それでも幾度となく酒を飲んだ。他愛もない話を何度もした。そんな内藤の内面を、ちゃんと覗いてあげたくなった。
 好奇心と友情らしきものが入り交じって、それは高揚感となっていた。

「なあ、お前、好きな女いないのか?」
 単刀直入だった。
 内藤は表情ひとつ変えなかった。
「俺には言ってくれてもいいんじゃないか」
 言外にはいろいろな気持ちを込めていた。
「言ってもわからないからさ」
 内藤は微笑んだ。
 ふと、内藤の視線が石の方向に流れた。
 石は漫画の並んだ棚に、その存在を緩やかに主張するような鎮座をしていた。
「わからないよ」
 内藤は物悲しそうな目をした。こんな表情を見たのは初めてだった。
「僕はこの子が好きなんだ」
 内藤は立ち上がると、棚に近づいた。
 石をそっと手に取り、まるで女体を撫でるかのような手つきでそれを包んだ。
「この子?」
 語尾を上げてしまってから気づいた。案の定、内藤の目に、以前見た光が差した。
「だからわからないって言っただろ」
 内藤の語気に怒りが孕んだ。
「なあ、僕はこの子が大好きなんだ」
「あ、ああ」
「どんなに見てても変わらないんだよ」
「そうだよな」
「でもね、話しかけると答えてくれるんだ」
 内藤は恍惚とした表情を浮かべた。
「この子だけだよ。変に立ち入ってこない。僕の心を踏みにじったりしない。だから僕も彼女を傷つけたりしない」
「落ち着けって」
「愛してるよ。愛ってこういうことだろう? なあ、君の思う愛ってなんだい?」
 内藤は肩を上下させた。呼吸が乱れている。

 何もできずにただ胡座を崩した。

 手を絨毯について、その勢いで立ち上がろうとした。


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 十月二日午前九時ごろ、○○市△△町のアパート「エクレールハイム」三○六号室で人を殺したと一一○番通報があり、駆けつけた警察官が同室内に倒れている男性を発見した。男性は病院に搬送され、間もなく死亡が確認された。
 警察は、一一○番通報を行った、同室住人のコンビニ従業員内藤恭吾容疑者(32)を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。内藤容疑者は同日午前八時半ごろ、同室内で男性の頭部を石のようなもので殴打した疑いがある。
 調べに対し内藤容疑者は、「好きなものを汚してみたくなった」と供述している。警察は殺人容疑に切り替えて調べる方針。

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