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なぜSGに賭けなくなったか


 給料日前のド平日という悪条件ながら、1Rから億を超える売上を叩き出すSG競走。注目度が高く、様々な情報が溢れ、タイムラインは熱を帯びている。みんな、仕事してる?
 SGのレースは観ていて面白い。迫力があり、道中戦ひとつとってもハイレベルで、何よりドラマティックだ。金と名誉のニンジンをぶら下げられた親愛なる博奕の駒ボートレーサーたちが、ガチな勝負を繰り広げる。観戦料と割り切って賭けることの効用は高いだろう。それでも私は、SGにあまり投票しなくなった。

 SGは難しい。ただ、難しいから賭けないのではない。そもそも私に、レース結果を予測しようなんていう考えはない。見通したいのはオッズ妙味だけで、結果がどうなろうが知ったことではない。
 SGにだって期待値のある出目は存在するはずだ。普段よりもファン層の投票が過熱するため、それだけ不合理なオッズになりやすい。普段は焼け野原になりそうな順当1-23-234だって、SGなら合成4倍くらいキープすることがある。
 普段は、妙味があると確信した出目に、喜び勇んで投票している。「大衆の誤解」のパターンから、その出目が結果的に来なかったとしても悔いのないベッティングをする。以前よりも、大衆の誤解を感知するためのファクターの数が膨大になった。不合理な参加者が何に誤解しやすいか、そしてその集積はどの程度のオッズ誤差を生みやすいか。そんなことを徐々に計算できるようになってきた。詳しくはいずれ長い記事にしようと思う。
 で、話はSG競走に戻る。SGは難しい。そして、難しいと思っているレースに向き合う大衆の思考を読み取るのは、もっと難しい。

 大衆の誤解に付け入るようなベッティングにおいて、諸手を挙げて歓迎すべきレースは、たとえば「明らかに4号艇が名前売れしているが、実はスリット揃ったときの立ち回りが下手」のような場合だ。このケースなら、やることはたったひとつで、4号艇を3着以下にするような組み方による投票だ。1-23-234でも十分妙味があったりする。好きです。結婚したいくらい。
 SG競走は、誰でも名前売れする可能性がある。實森ですらファンが多い。その中で、相対的に誰がどのくらい不合理な投票を集めているのか、弾力性が低いオッズであっても見抜くのは容易ではない。
 さらに、参加者が触れることのできる情報が多く、普段使わないようなファクター(ピットレポートや前節モーター情報、豆知識……)で彼らは予想をコロコロ変える。そんな大衆の動向は、藤山の進入より読みづらい。
 読みづらい番組に向き合う参加者は、いつもより(無駄に)複雑な思考で投票の意思決定をする。参加者の思考が最大の予想ファクターである私にとって、これほど厄介なことはないのだ。

 かくして、SGではほとんどの場合「観戦」することになった。同時に、参加者の動向も「観察」している。選手よりもエゴサをする。予想屋たちの数字並べをチェックする。すべては今後のためだ。
 いずれまたSGで舟券を買えるようになりたい。それまでは、パン戦のゴミ拾いと藤山のコラ画像で時間を埋めていこうと思う。


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