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試し読み:『[新版]我々は人間なのか?』冒頭部分

2023年1月に刊行した『[新版]我々は人間なのか? デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』(ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー 著/牧尾晴喜 訳)の冒頭部分をご紹介します。

はじめに

「我々は人間なのか?」という問いは、答えを急ぐものであると同時に古くからあるものだ。もしかすると、日常生活のほんの些細な身ぶりから、テクノロジー、生態系、地質における非常に大きな変化にいたるまで、時代を通じて繰り返されるあらゆる問いの中で最も古いものかもしれない。おそらく人間は、この問いを自らに投げかける種なのだろう。しかし、他の動物も自らのアイデンティティに疑問を抱いているかもしれない。我々人間は、思っているほど、あるいはそうあってほしいと願っているほど特別な種ではない。機械ですら自分が人間なのかを知りたがっている可能性もあれば、中には人間よりも人間らしい機械だってあるかもしれない。もとより「我々は人間なのか?」という問いは、体の外側と内側に存在するあらゆるものと、我々自身との関係性に対して感じている「ためらい」のことなのだ。本書ではその「ためらい」に切り込んで、デザインと人間の親密な関係を探ることになる。ここにある各テキストは、第3回イスタンブール・デザイン・ビエンナーレの準備をしていた過去1年半の間の絶え間ない会話、授業、シンポジウム、読書、インタビュー、現地訪問、ミーティング、散歩、さらには食事中からも得られたことをまとめた活動記録である。本書の中で重なり合いつつ発展していく思索も、人間を定義するこの問いの答えを与えてはくれない。本書はデザインのガイドでも、人間を作るためのDIYマニュアルでもない。これを読むことであなたの考えが変わるかどうかはわからない。本書では、人間という動物を定義する上でのデザインの役割を考えてみようとしただけだ。もし人間が未知の存在であるとするならば、デザインはその問いに取り組むための手段である。デザインの考古学は、好奇心の考古学なのだ。

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THE MIRROR OF DESIGN
デザインという鏡

デザインは常に人間の役に立つものとしてその姿を現すが、その本当の狙いは人間をリ・デザインする(デザインしなおす)ことである。

デザインの歴史とは、進化していく人間の概念についての歴史なのだ。デザインについて語ることは、人間という種の状態について語ることなのである。人間は自らが作り出すデザインによって、常にそのかたちを大きく変化させてきた。デザインの世界は拡大を続けている。我々は、綿密に作り込まれた個人の容姿やインターネット上のアイコンから、その周辺に無数に散りばめられたパーソナルデバイス、新しい素材、インターフェイス、ネットワーク、システム、インフラ、データ、化学物質、有機体、遺伝情報にいたるまで、あらゆるものがデザインされている時代に生きている。ありふれた1日においても、地中の奥深くから宇宙空間、そして我々の体や脳の奥深くに達するまで、幾千と積み重なったデザインを体験している。体内から出す糸で作った巣の中で暮らすクモのように、我々は文字どおりデザインの中で暮らしている。ただし、単一の巣(ウェブ)に暮らすクモと違って、我々は数えきれないほど重なり合い相互作用するウェブを生み出した。地球そのものですら、地質学的に重なり合うデザインによって完全に覆われている。もはや、デザインの世界に外側は存在しない。デザインが世界そのものになったのだから。

デザインはあなたの拠り所となり、あなたを支えるものである。ひとつひとつのデザインの層がまた別の層の、そのまた別の、さらにまた別のデザインの層の上に重なっている。デザインについて考えるためには、考古学的アプローチを要する。掘らなければならないのだ。土を掘って地中、海底、地球の奥深くへと掘り進め、地上に並ぶもの、たとえば建物、都市、木々のこずえ、アンテナを、そして地面から大気へ、雲へ、さらには宇宙空間にまで掘り進む。またデータのストレージ、数学的な公式、プロトコル、回線、光学的なスペクトル、化学反応、遺伝子配列、ソーシャルメディアの投稿記事といった目には見えない重なりも掘り進む。探求(ディグ)し、文書化し、分析し、議論すること。それはつまり、我々自身を掘り進めることなのである。

デザインにはそのような考古学的アプローチが必要であるが、そもそも、考古学そのものがデザインの上に成り立っている。考古学においては、化石となった技術の物質的な軌跡を分析することによって人間の活動を復元させる。ブラシによる丁寧な処理やX線による透視が映し出すひとつひとつの人工物(アーティファクト)や様式を、人間の生活とその意図の証拠として扱う。堆積した層は入念に掘り出され、ただの地層の配列だった人間の社交性、流動性、食事、代謝、象徴化、および知的能力が再生される。この執念深い法医学的分析には、最も精密な計測技術と放射性炭素年代測定技術が活用されている。しかし、その証拠は常に部分的にしか得ることができず、その分析的枠組みも決して単純なものではない。考古学は、推論を重ねていくことと、科学的な厳密性への最新の理解を融合したものである。それはある種、デザインのリバースエンジニアリングと言える。考古学はありえた過去を取り戻そうと試みる一方で、デザインはありうる未来を待ち望んでいる。デザインは投影(プロジェクション)の一種であり、何かを見つけるというよりも何かをかたち作り、発明し、その発明が起こしうる結果について考えるためのものである。この終わりのない作り直しと起こりうる結果についての思索は、人間特有のものである。デザインの考古学とは、あらゆる人工物のレイヤーの中において、人間という動物の歴史を解き明かすことではない。これまで積み重ねられてきた、人間を発明し直す方法を明らかにすることなのだ。

我々に関することの中で、最も人間らしいものがデザインである。デザインが人間をつくるのだ。最も古い人工物から現在進行形で急速に拡張している人間の能力にいたるまで、デザインが社会生活の基盤なのである。人間はあらゆる方向にデザインを放つ。陸地、海、大気、植物、動物、あらゆる種類の有機体、化学物質、遺伝子構造、目に見えないあらゆる電磁スペクトルの周波数に、人間が関与した痕跡が刻まれている。その温度、動き、化学的特性において、人間のデザインの影響を受けていない水は存在せず、あらゆる空気には人間の痕跡が残されている。自然界において、人間の活動の影響を受けてこなかったものなど、ほとんど存在しない。地球の表面の大半は、都市化や農業を通じて大きく変化してきた。生息環境の喪失、魚や動物の乱獲、工業化学物質、公害、品種改良や遺伝子改変による植物や動物の新種の開発。化石燃料の燃焼によって勢いを増す気候変動の激しさも加わって、数えきれないほどの種がダメージを受け、生物多様性の低下が進んでいる。人間の生活を特徴づけるデザインは、やがて博物館に展示されるような文化的・技術的な人工物だけではない。難民の不安定な移動、生物多様性の崩壊、情報および資源の世界規模の流動、オゾンホール、海に拡散するマイクロプラスチック、核実験による大気中の放射性同位元素、大気中および土壌のあらゆる場所に存在するブラックカーボン。これらもすべてデザインなのだ。
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