[ガンダム]アニメじゃないほんとかどうかわからないこと
聞いた話なのでほんとかどうかわかりません。
そんなふわっとした話を体験(体感)交じりで。
アニメと言えば現在でこそ生まれたばかりの子供向けのものから、ある程度以上の教養と知的好奇心がないと楽しめないような知識層向けのものまで幅広いエンターテインメントコンテンツというイメージがありますが、わたしが小学生くらいまでのころは「ジャリ向けの娯楽」との認識が一般的でした。
『機動戦士ガンダム』のように大人の鑑賞に堪えうるアニメは今でこそアニメの中の大きな一ジャンルを形成していますが、その当時は『魔法使いチャッピー』や『ドラえもん』『タイムボカン』のような児童向け娯楽作品が「ふつうのアニメ」=アニメというイメージで、大人向けのアニメが存在するということすら知らない人が大半でした(実際には『銀河鉄道999』なども同時代にすでに存在してはいたんですけどね)。
『機動戦士ガンダム』が最初の放送の時には商業的に成功しなかったというのは今では有名な話ですが、ここにはそういう社会背景も原因として挙げられるでしょう。
『機動戦士ガンダム』は最初の放送で成功せず、その後劇場版の公開で人気に火が付き、そのほかの大人向けアニメ作品とともにじわじわと支持者を増やしていき、最初の放送から6年後の1985年についに続編が公開されます。
この続編『機動戦士Zガンダム』は、「子供向け要素を強くしろ」というスポンサーの圧力から逃れられたせいなのか、最初の作品の何倍も難解で複雑で、そして陰鬱なストーリーになっています。
ちなみにこの作品にはスポンサーの圧力で当初計画の遂行が妨げられ、戦争を長引かせてしまうというエピソードも含まれています。
主題歌はニール・セダカの曲の翻訳曲、音楽は三枝成彰氏というあたり、とても「ジャリ向け」とは思えません。
『Zガンダム』は一応の支持を集め、すぐに続編『機動戦士ガンダムZZ』が作られます。
このとき、主題歌の作詞を依頼されたのが当時新進気鋭の秋元康氏でした。
いまだ「アニメはジャリ向け」という社会通念が広まる中、秋元氏は作詞にあたり関係者から「『ガンダム』はただのアニメじゃないんだ。ジャリ向け娯楽という固定観念を捨ててくれ。とにかく『ガンダム』はアニメじゃないんだ」という説得?を受けたそうです。
このしつこさにうんざりした秋元氏が書いたのが『ZZ』の初代主題歌である『アニメじゃない』です。
とはいえこの『ZZ』ですが、前作『Zガンダム』が難解すぎて大成功とならなかったらしいこともあり、この後現在まで続く『ガンダム』シリーズの中でもっとも「ジャリ向け」に寄せた作品のひとつと言われており、『ガンダム』の中心シリーズである宇宙世紀シリーズの作品の中ではかなり人気がない作品になってしまったそうです。
シリーズ後半からは「いつものガンダム」らしい展開にもなっていくのですが、そのころにはこの主題歌は使われなくなってしまっていたというオチもついてしまいました。
さて、その後のアニメですが、『Zガンダム』をきっかけにいまのような対象の広いエンターテインメントというパーセプションを順調に形成していけたかというとそうではありません。
この直後、昭和最後の猟奇殺人事件の一つ「宮崎勤事件」をきっかけに差別としか言いようのないバッシングにさらされていきます。
いまでいうシリアルキラーの宮崎勤元死刑囚がアニメファンであり、マスコミによるそのことを強調した報道により「大人になってアニメを見ている人間は宮崎勤のような異常な精神を持っている危険人物」という認識が広がってしまいます。
とあるシリアルキラーがアニメファンであることは、アニメファンがすべてシリアルキラーであることを示さないのですが、当時の報道はこれを主張するようなものが多かったと記憶しています。
当時わたしは小学生から中学生にかけての頃。当時わたしは民放局が2つしかない田舎に住んでおり、アニメが見たいと思ってすぐに見られる環境ではなかったんですが、それでも学校には「アニメを見るような奴は将来殺人鬼になる。ただしスタジオジブリは別」というようなことを言う教師がいたように思います。
なぜスタジオジブリは別だったのかよくわかりませんが、当時から今のような性格だったわたしは無駄な正義感を燃やし、見たこともない『ガンダム』に親近感を持ち、逆にスタジオジブリを嫌悪する子供になってしまいました。
わたしが『ガンダム』を見るようになるのはフォークダンス引退後の2000年代前半。残念ながらスタジオジブリのアニメはいまだに食わず嫌いです。