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楽園-Eの物語-葬送の舞

合図は北側の屏の中から、外に投げられた螢石だった。
 小柄な女を左右から支えるように、林の陰から二人の男が出てきた。
 後に続くのは、男と女だ。
 全員が白い喪服で、体を覆っている。
 正面に回ると、入口を挟んで二人の門番が、松明の横に立っていた。
 夜通し弔問を受けるしきたりとはいえ、夜中に訪れる者は少ない。
 しかも深夜だ。
 門番達は一行に、不審の目を向けた。
「疱瘡が顔に出来、高熱も出ております。けれども旦那様とは、浅からぬご縁があるゆえ、人目を忍んで参りました」
 男の一人が、澄んだ声で囁いた。
 喪服のストールで顔は殆ど見えないが、美しい手や顎先だけでも、下賤の者ではないことが見て取れる。
 浮き名を流すこと絶え間なかった、故人の相手の一人を連れて来たのだろうと、門番達は母屋の入口を指し示した。
 そこにも若い男が一人立っていた。
 先程の台詞を繰り返しても、若い男は一行を凝視したままだった。
「私も昔は、若い女でございました。お察し下さい」
 少し年寄った、弱々しい声が一行から聞こえた。
 若い男は少し考えた後、顔を赤らめ、横を向いた。
 白い大理石が張られた廊下を静かに進むと、左側の扉が一つ、開け放たれていた。
 中を覗くと、寝ずの番をしている筈の男が、白髪の頭を後ろに投げ、椅子の背もたれに上体を預けている。
 両腕もだらんと垂らして、脱力していた。
 部屋の奥に組まれた祭壇は、大人の腰より高い。
 三方を囲むように垂らされている、吊るし飾りが鮮やかだ。 
 赤と紺の玉に嵌められた、貝細工の精緻さも目を引く。
 その中程にある台座には、大きな布張りの棺が置かれていた。
 一面に刺繍が施されたその蓋は、頭側が一ヶ所、足側が一ヶ所、左右は五ヶ所づつ、飾り紐で本体と縛られている。
 男二人はその横に、支えていた物を下ろした。
 それは重い絨毯を皮で包んで『棺入りの服』を着せ、喪服を纏わせただけの人形だった。
 男の一人は人形の服に手を掛け、残りの三人は棺の紐を解きにかかった。
 女はするすると、男達は不器用な手つきでほどいていく。
 頭側と足元、右側を外したところで蓋を開けようとしたが、ピタリと閉まっていて外せない。
「左側は緩めるだけにしましょう」
 女が小声で言った。
 残りの紐を全て緩めて右側を持ち上げると、蓋が斜めに開く。
 その隙間から『棺入りの服』を着た女が静かに、けれど素早く滑り下りた。
 人形から脱がせた喪服を、黙って手に取る。
 四人は紐を元通りに縛り始めた。
 後は左側の紐を絞め直すばかりになったところで、小さな声が聞こえた。
「ん?んん」
 寝ずの番の男が、体を起こそうとしている。
 女が紐を放して、音もたてずに祭壇から飛び降りた。
 喪服を着終えた方の女は、棺に取りすがる。
 歳嵩の男が、取りすがる女を宥めるように前に回り、男の一人が引き離したそうに後ろに付く。
 残りの男は棺の後ろに立ち、寝ずの番の男から、仲間を見えにくくした。
 寝ずの番の男は眠りから覚めると、祭壇に目をやった。
 眠ってしまった疚しさも手伝って、訳ありの女がこっそり来たのだろうと、自分を納得させる。
 すると後ろから、布がはためく音が聞こえた。
 慌てて振り向くと、女が舞っていた。
 僅かに腰を落とし、肩の位置はぶれない。
 二の腕は肩より上げないまま、ゆったりと腕を動かし、自在なテンポで足をさばく。
 葬いの舞だった。
 抑えた動きに密度を増した情感が、辺りの空気を染める。
 神経の行き届いた指先からは、時折光が放たれるようだ。
 祭壇では、女と前に回った男が、体の陰で紐を絞め直していた。
 一度絞め直すと、後ろの男が女の体を引いたように動く。
それを二回繰り返して全ての紐を元に戻し終えた。
 舞っていた女が、すい、と爪先立ちになり、両腕を高く掲げる。
振られた袖に巻き上げられた空気が、部屋中の淀みを吸い上げて、全てが天高く昇華していく。
 その光を見送ると、女は床に伏し、霜が降るように静寂が訪れた。
 寝ずの番の男が、呆然としている間に、祭壇から下りた四人と連れ立ち、女は去って行った。 

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