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楽園-Eの物語-疚しさの変容
ムンと村長は、耳を澄ましていた。
風向きはお誂え向きだ。
炉を挟んで腰を落ち着けると、間もなくその歌は聞こえてきた。
途端に二人は総毛立った。
文字通り、頬の産毛まで立ち上がったのだ。
強い風の音と交ざり合い、けれど紛れることなく空気を揺らす。
それは鋼の声だった。
大きな器を叩いたように、薄い板を震わすように、鋭い刃を滑るように。
高く低く太く細く、 大胆でかつ繊細に。
自由自在に歌を表し、二人の耳も肺も足先も、あらゆるものを響かせていく。
それは慣れるとこの上なく、心地よい空間だった。
やがて二人は目を閉じて、全てを任せた。
目が覚めると朝だった。
子供のように体が軽く、全ての感覚がクリアだ。
薄く開けた窓から、清々しい光が差し込んでいる。
村長は我にかえって耳を澄ませた。
歌声はまだ続いている。
《おはよう》
ムンが麦粥を混ぜながら声を掛けた。
《夜半に変わると言ったじゃないか》
村長は文句を言ったが、その語調にいつもの棘は無かった。
《俺は慣れている。山に泊まることもあるからな》
《お前はいつもそうだ》
歌声は、心の泥をふるい落としたようだ。
《俺が昔、父さんのペンを失くしてお前のせいにした時も、何も言わなかった》
《兄さんがペンを持ち出した時、俺は<止めたほうがいいよ>と言っただけで、本気で止めはしなかったからな》
《今回のこともそうだ。オグを町の学校に行かせたのも、そこで会った娘との結婚を許したのも、俺だ。お前に懐いているオグなんか、勝手にしろと思ったからだ。長男ばかり可愛がっていた自分のことを棚にあげてな。お前はオグの後押しをしただけだ。なのにお前達だけが悪いように皆に思わせた》
《当然だろう。兄さんを説得したのは俺だ》
《お前はいつもそうだ。何を言っても、何をしても、受け流してっ!》
苛立ちに声を荒げた村長の頭の中で、違う思いが響いた。
―いや、そうじゃない―
歌が聞こえる。
全てを癒し、透過させる、その歌声。
―俺は・・・俺は―
村長の心の蓋が、やっと開いた。
―俺は、疚しかったのだ―
憑き物が取れたようだった。
長く息を吐くと、心の力みも抜けた。
素直な気持ちが、村長の口から滑り出す。
《長い間、色々と済まなかった》
ムンが少し目を見開く。
そしてゆっくりと笑みを浮かべた。
《凄い歌だな。外を見てみろ。枝からすっかり雪が落ちてる。ルージュサンは沢山特技があるんだと、道々セランから聞かされていたが、これ程とはな。顔を洗ったら飯にしよう。セランとルージュサンの話でもしながら》