見出し画像

楽園-Eの物語-葛藤

 女達が出ていった後、ルージュサンは呼吸を整えた。
 心の中で五回、息を薄く平たく吐くように五回、囁くように五回、抑えた声で五回。
 決まり通り『春の喜びの歌』を歌う。
 そして普通に歌い始める頃には、山下ろしがごうごうと吹き荒んでいた。
―これではセランに届かない―
 ルージュサンは思った。
 今までの『歌い女』は、皆『神の子』の母親だ。
 息子の未来を見る力は、役立ちもした筈だ。
 いつまでも無邪気な様も、親にすれば可愛いものだ。
 けれどこの二つが合わされば、知りたくもない事を知らされた者から、恨みを買うことも多々あるだろう。
 元々異端とされる者は、排除される世の中だ。
 自分が先立った後の事を、心配するのは当然だ。
 そして神の元で幸せに暮らせるのだからと、我が子を捧げる宿命を、無理にでも受け入れることになるのだ。
 それのなんと残酷なことか。
 この小屋の閂も、洞窟を塞ぐ大きな岩も、獣から守るというのは建前で、我が子と逃げ出したくなる衝動を、抑えるためのものだろう。
 その葛藤を、血を吐くような思いを、母親は歌に乗せるのだ。
『我が子に届け』と。
 比して私はどうだろう。
 セランの異常な回復力が気になってその血筋を調べ、こうなる可能性に気づいた時は随分悩んだ。
 もしも私が望むのならば、セランはその命を一瞬たりとも躊躇わないだろう。
 全ては私次第なのだ。
 セランの命は惜しかった。
 娘達に親を失わせたくもなかった。
 他にも避けたい理由は山ほどある。
 けれど自分達が行かなければ、山はどうなるのだろう。
 気候の乱れのその先は、推測もつかなかった。
血に課されたものから逃げようとすれば、結局悪い形になって追い付かれるものなのだ。
 そう考えて悩んだ末に、もしもの時は行くと決めた。
 けれどもずっと、願っていた。
 私達が必要とされませんように。
 けれど願いは届かなかった。
 せめて無事でありますように。
 無邪気なセラン。
 明るいセラン。
優しいセラン。
愛しい、愛しい、愛しいセラン。
ルージュサンが歌っているのは『春の喜びの歌』だった。
その歌にセランへの想いを乗せることを、ルージュサンは止めることが出来なかった。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?