商店街の魔女 その1
町で唯一の飲み屋街のあたりに、半分さびれてしまったような商店街がある。流行りの辛麺屋があると思ったら、すぐそばに畳屋と古美術商が店を構えていたり、シニア世代向けの品揃えをしているブティックの向かいには、ブランドスニーカーの専門店がある。
私のアルバイト先は、この商店街の少し先にある焼き鳥屋である。店主が死ぬほど怖いため、辞めたいが、辞めると言う方が怖いということで、かれこれ3年間続けている。
3年も勤めているとお客さんがぼちぼち私の顔を覚えてくれる。怖い店主の目を盗んでおしゃべりに興じたり、お酒を一杯ご馳走になったり、おひねりを頂いたり…なかなか可愛がってもらえている。店主は怖く寡黙であるが、お客さんへのあたりは柔らかで、料理の味も確かなので、それを気に入って通うお客も多く、常連客もまた人当たりの良い人が多い。
金曜日の閉店間際、忙しさのピークが過ぎ、余裕が出てきたのを見計らって、常連客が話しかけてきた。ついでに1杯差し出されるので、ありがたく頂戴する。店主の方をちらと見ると、他の客と談笑しているため、こちらには気付いていないようだ。
毎月20日に集まる客たちだった。毎度、予約名が「はつか会」なので、働き始めの頃からすぐに覚えた。20日であれば曜日も天気も関係なく集まる。月に1回集まっているとは思えないくらい、毎回盛り上がっており、なんかいいなあと思う。
彼らの今日の話題は、近くの商店街についてのようだった。
「俺は確かに見たんだよ。」
「いや、お前、酔っ払っていたんじゃないの。」
「勤務中に酔っ払うもんか!」
黙ってやりとりを観察していると、だんだん内容が分かってきた。
はつか会の1人である建設会社勤めの原田さんが奇妙な体験をした。先週の水曜日、ランチ時のことである。
商店街にある辛麺屋で早めの昼を済ませた後、やや腹が重く感じた原田さんは、あたりをぶらついてから会社に戻ろうと考えた。平日の昼時の商店街は閑散としており、店先から流れるラジオの音と、かささぎの鳴き声だけが聞こえてくる。大変のどかな正午であった。
辛麺屋を出て、アーケードをそのまま東へ進む。ちょっと立ち寄るには、店主との距離が(店が狭いため)近すぎる店舗が多いため、どこの店に立ち寄るでもなくふらふらと歩くしかない。
原田さんは、この町に転勤してきて3年ほどだ。この短い期間の中でも、この商店街の店は静かに入れ代わり、馴染みのない店もちらほらある。たとえば、この「喫茶やまぼうし」などはいつの間にか開店していたし、以前ここにあった店がなんだったか思い出すこともできない。同僚にこの話をすると、原田さんが転勤してくる前からある店だという主張と最近できた店だという主張で大抵議論になる。転勤した当初はなかったような気がするが・・・。店の外観はいかにも老舗喫茶であり、何だかキモチワルイ。
喫茶やまぼうしの前を通ると、コーヒーの匂いがした。ガラスのドアー越しに、小さなショーケースに整列したケーキが見える。そのショーケースの奥には、小柄で歳不相応な少女趣味の服を身にまとった店主が座っていた。
店内の様子に気をとられて、前から歩いてくる姿に気が付かなかった。
「おっと、すみません」
軽く肩がぶつかってしまい、反射的に謝る。相手は、白髪ロン毛の初老の男性だった。白に近いグレーのスーツにピンクのシャツを合わせている。
「こちらこそ、すみません」
彼は軽く頭を下げて、喫茶やまぼうしへと入っていった。紳士と喫茶店とはお似合いだな、と思いそのまま歩き出そうとしたところ、ずずんと地面が揺れた。驚いてしりもちをついた原田さんの目の前で、おかしな現象が起き始めた。
現象は、商店街の石畳から始まった。ずずんと揺れたのをきっかけに、スーパーマリオの動くブロックみたいに、石畳が一つ、二つと上下運動する。そしてその範囲は喫茶やまぼうしの前面から、アーケードの角まで広がった。そのうち、喫茶やまぼうしの前面がぐぐぐ、と傾斜をつけて沈み始めた。向かいにある仏具店がするすると巻き込まれていく。あっと思った瞬間、すさまじい空気のゆれの中、でんぐり返しするように仏具店が地面に消えた。
一瞬の静寂の後、仏具店が消えたあとの地面から、すらっと新しい店が「生えた」。
新しい店は、どうやら古美術店のようだった。あまりの出来事に、原田さんはその場に立ち尽くしていたが、やがて喫茶やまぼうしから、先ほどの紳士が出てきた。見送る店主に何やら小包を渡している。彼は、店主に一礼して、唐突に表れた古美術店に入っていく。
「あ、あの!」
原田さんが思わず話しかけると、紳士は振り向き、
「なんでしょうか。」
と首を傾げた。
「その店、急に表れて・・・地面も揺れてたし、入るのは危ないですよ!」
「・・・一体何のことでしょう。ここは昔からある私の店ですよ。」
え、と固まる原田さんを横目に、紳士は会釈をして店内へ入っていった。
「そんな荒唐無稽な話、信じられるわけないよなあ?」
と原田さんの隣に座る飯塚さんに問われ、曖昧に微笑む。YESともNOとも答えることができないのには、きちんと訳がある。あるにはあるのだが、勤務中のわたしは、口を紡ぐこととした。
そのうち話題は、各々の職場や業界の動向となったため、私は笑顔を絶やさず、その輪からフェードアウトした。
閉店後の片付けを済ませ、相変わらず怖い店長におやすみなさいを伝え帰路に着く。私の下宿先は大学の近くなので、自転車をフラフラ漕いで15分程度かかる。
だんだんと秋めいてきた街路樹が視界の後ろにさらさらと流れ、微かに踏み潰された銀杏の臭いがした。街路樹に銀杏の木を植える方針を決めた人々は、この道路の汚れと臭いは想定できていたのだろうか。車通りの少ない4車線の道路を心細く進みながら、はつか会の原田さんの体験について考える。
はつか会の皆さんは、あの話を原田さんの冗談か何かだとして、まともに受け取らなかった。いたって当然の反応である。しかし、私にはその話を単なる冗談と受け取れないような、ちょっとした心当たりがあった。
私が所属する浅海干潟環境学研究室に、その手の話に詳しい先輩がいる。私が地味なデータ整理に勤しんでいる間、先輩は何の作業をするでもなく、この街で起こる不思議な出来事をとうとうと語る。にわかには信じがたい話ばかりで、研究室に所属したての頃は、とんだホラ吹き野郎だと思っていた。
しかし、先輩に飲みに連れ回されたり、フィールド調査に付き合わされたりするうち、それらの話が嘘ではないと分かるようになった。その先輩は、本当によく「巻き込まれる」のだ。
先輩との飲み会の帰りに、神社の傍の河川にて、河童像同士の諍いに巻き込まれた時は我が人生もこれまでか、と思った。今も、夜にあの石畳の道を通るのは怖い。
あの先輩なら、こういう現象について知っているかもしれない。怖いもの見たさ、とはよく言ったもので、知れる可能性があるなら面倒に巻き込まれるかもしれない案件でも首を突っ込みたくなるのが、人間の性だと思う。
明日は幸いにも大潮のフィールド調査の日だ。超常現象への好奇心と、調査準備が終わっていない焦燥感とバイト終わり特有の達成感とが入り混じったふわふわした状態で、私は立ち漕ぎで家に帰った。