10/5 日記
昨日書いた内容を踏まえて今日考えてたこと。
相対主義のパラドックスというものがある。堅苦しい名前だが、内容はとてもシンプルで、簡単にいえば「あらゆる主張は相対的であるという相対主義の主張は、それ自身は相対的ではありえない」というものだ。「どんな主張でも、絶対的に正しいもの、絶対的に間違っているものはない」「だから自分が正しいと思うことを好きに主張すればいいし、それを否定してはいけない」こんなふうな、一見もっともらしい相対主義の主張は、その中身を突き通そうとすれば、自身が相対化されることを免れられない。「じゃあその主張自体も間違ってるかもしれないよね」と指摘されたら反論できない。より悪いことには、「この意見だけが絶対的に正しい」という絶対主義的な主張を拒むこともできないので、結局相対主義は絶対主義によって淘汰されていく。まぁこういうことだ。
俺の悲観主義も、それと良く似ている。俺は長いこと、「俺にとっての正しさは誤りである」というテーゼを行為の格率として大事にしてきたが、そのテーゼ自体は正しいと信じ続けてきた。どんなに自分の正しさに疑いをかけても、その疑い自体を疑うことはできない(できたとしてもそれが無限に続くだけである)。それだから、俺は悲観主義ですら不完全で不徹底なのだ。それならこの悲観主義も、相対主義と同様に駆逐されるべきなんだろうか。きっとそうなんだろう。というか、自然とそうなっていくんだと思う。だからなんだよって感じだけど。とりとめのない思考にオチなんてない。
「アオのハコ」のアニメ第1話を観た。青春すぎて眩しい。基本的に面白かったけど、キャラや舞台の設定をほとんどナレーションや説明口調の台詞で語ってしまうのはどうなんだろうとも思った。
オモコロチャンネルの新作動画面白すぎる。無駄に高いクオリティのパロディしながらずっと💩の話してた。
スタジオ練があった。明日はライブの本番。FINLANDSとヨルシカ。がんばる。これが終わったら結構キャパに余裕できるし、NFに向けて小説書き始めよう。
というわけで寝る