10/4 日記
マジでめちゃくちゃつかれた!!!
結局昨晩は朝5時半くらいまで曲のコピーやってた。空が白み始めてからやばいと思って寝たけど、昼過ぎに起きてからもずっとコピーやってた。一回のライブのために10曲コピーするの、普通に正気じゃない。それもこんな忙しい時期に……。ヨルシカが好きだからなんとか出来てるまである。
応用演習の発表原稿を提出した。来週の発表に向けてパワポを作らないといけない。発表まじで怖い。自分が気づいてないだけで、本当は酷い欠陥があるのではないか。みんな口に出さないだけで、俺の研究は本当に酷い出来栄えなんじゃないか。そんな疑念がずっと付き纏って消えない。俺はきっとそういう性なのだ。最近よく思う。俺の悲観主義は心のあり方のせいではなく、むしろ持っている前提のせいなんだろう。自分は無能で愚かな人間だという前提を強く持ってるから、自分の人生で大きな成功を収めてもそれを素直に受け取れない。まぐれなんじゃないかと思ってしまう。院試に合格したときもそうだった。先輩や先生に褒められたときも。逆に、本当にちょっとした失敗をずっと引きずってしまう。学会のバイトしてたときに、先生にもっと声大きくしてねって言われたこととか。これも前提のせいなんだと思う。些細なことでも、俺の無能さ、駄目さが証明された気分になる。
俺は、こんなんで社会でやっていけるのだろうか。約40年間、自分が有能であること、価値を生み出すことができることを証明し続けなければならない、そんな社会で生きていけるのだろうか。そういうことを考えるとゾッとする。俺はきっと耐えられない。これからもずっと、今みたいに些細な不幸をずっと引きずり、大きな幸福すら素直に受け取れないんだろう。ふとしたきっかけで容易に自死を選ぶ自分が想像できてしまって恐ろしい。あるいは、そういう感覚でさえ歳を取るごとに麻痺していくのだろうか。失敗しても全然気に留めず、分厚い面の皮を被ってのうのうと生きていける大人になってしまうのだろうか。そっちの方が、むしろ恐ろしいかもしれない。結局俺は上手く生きることができない。でもそういうことを隠し通して、平気なように振る舞って生きていくしかないんだと思う。きっとみんなそうなんだろうから。
オモコロチャンネルで、個人的恐怖症の動画を見た。俺にはそういうものがあるだろうかと考えてみたら、ひとつ思い至った。心臓の動きを、自分の意志で制御できないの怖くないですか。だって今この瞬間に急に止まるかもしれないんだよ。もしそうなったとき、俺はどうすることもできない。ただ死にゆくに任せるしかない。俺はたまたま生きているだけであって、次の瞬間には心臓が止まって死ぬかもしれない。そういうのめちゃくちゃ怖くないですか。普段はあまり考えないようにしてるけど、ふとそれに思い至るとまともに生活できなくなる。本当に怖い。
なんかあまり日記っぽくなくなってしまった。早く寝よう。