なぜネット音痴の私がnoteを始めたのか?
先日note初心者セミナーに応募して、初オンライン会議システムを経験しました。本当につながるのか、15分前から何も手につかず、真っ白なパソコン画面の前で正座していました。
もちろん仕事でも日常でもパソコン、スマホは使っていましたし今も使っていますが、自己流です。会社を辞めたらアップツーデートする術もなくなりました。
そんな私が、本来は怖くて触れないようなネットツールであるnoteを始めたわけ・・・まずはそれをプロフィールとして書こうと思います。
勤続26年、アパレル関連㏚職にピリオド
本音を言えば、不満はありつつも大きな企業という傘の下は居心地がよかったのだと思います。気が付くと26年。自分はそれほど成長していないのに、世間はどんどん変わっていき、頭上の大きく安定した傘のありようも少しずつ変化してきました。
人生100年に例えれば折り返しを過ぎました。本当にこのままでいいんだろうか? 以前と変わって見え始めた傘の下で、残された物理的な時間を考えたはじめ、いたたまれなくなりました。
まだ何とかできるうちに何とかしなくちゃと、私は傘を手放しました。
これからは自分の好きなことを
じっくり考えるより足が出てしまうせっかちな性格の私は、長い人生設計などを深く考えていたわけではありません。
退職に関しては、背中を押されるような好条件も足がかりになりました。まずは自分の好きなこと、興味のあることに関わっていきたい、ただそれだけを思っていましたし、今も思っています。
昔聞いたことがあるのですが、自分は何をしていいかわからないという人は、子供の頃に無我夢中になったことを思い出すといいと。子供の頃の私は小説家になる、と言っていたようです。絵を描くこと、本を読むこと、お人形の着せ替えも大好きでした。
そう考えると、アパレル系の会社でのPRや販売促進のお仕事はあっていたんだと思います。
仕事を通じて、常に新しい情報にアンテナを張ることも身に付きましたし、実はそれ自体が好きなんだ、とも気づきました。街中の新しいスポットやお店を探索したり、アートやデザインにも興味深々。書くことも苦にならないから、PRで培った伝えることを文字に置き換えて発信していけたら、と思ったのです。
そしてようやくnoteに辿り着いた
好きを仕事にしてご飯が食べられれば、こんなに幸せなことはありません。でもそれが糧に直結するとは限りません。せめて嫌いではないことをして糧を確保しつつ、好きなことを満足させてくれるものが欲しいと思いました。そうでなければ新たな人生探しにはならないからです。
派遣とアルバイトで細々とつなぎつつ、Instagramを使って発信を始めました。SNSやネット音痴の私にとっては、使いこなすまではいかなくとも、唯一使えたからです。それでも写真はへたくそ、コメントは長くできません。目的と媒体の特性が違うんですよね。
そのうちにコロナの影響で派遣の仕事がおぼつかなくなりました。皮肉なことに時間がたっぷりできてしまったのです。苦手なことにもじっくり向き合える時間があるうちに、新しい活路を見出そう、と思いました。
自身のブログ開設はハードルが高すぎます。noteのことは耳にはしていましたが、セミプロの方のツールだと思っていました。試しに覗いてみると、書きたい人に広く門戸を開いています。何だかちょっぴり光が差したように思えました。
最後に
自分のプロフィールを作ってこの初めての記事を書くだけで、システムや内容に戸惑って数日かかりました。
動画を何回も巻き戻してみても、理解できなかったことがあります。おかしな画面になってしまうこともあるでしょう。多くに人に見ていただけなくてもいい、遅々とした歩みでもいいから継続したいと思います。
好きなことなら少しうまくいかなくても、きっとめげないことでしょう。どん尻もいから必死についていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
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