ダイナマイトホームランツアー 国立代々木競技場代々木第一体育館2022.03.26(Day2)
センターステージで見せたツアーファイナルは熱量もセットリストも圧巻で優しさの塊でした。
彼らのライブを最後に観たのは、2019年12月20日サバイブホームランツアーat.仙台GIGS。My Hair is Badのライブを生で丸2年以上観ていないなか始まる代々木第一体育館でのワンマンライブ。会場中央に作られた円形のセンターステージを取り囲むようにズラリと並んだ客席。自分の席は最前列のど真ん中。ドキドキと期待と懐かしさで吐きそうな程に緊張感が走っていた。フォトスポットや手書きの歌詞カードの公開などドキドキさせるポイントが多くて、それぞれのコンテンツを楽しむごとにライブへのドキドキが高まっていた。規制緩和が進む中でのライブ、全席指定ではあるもののパンパンに人が入った代々木第一体育館(以下、ヨヨイチ)は始まる前から熱気でライブハウスの様な姿を現していた。
16時30分。会場内の仕掛けを楽しみながらウロウロしていた人たちも席に着くと、一瞬の暗転でSEに切り替わりメンバーの登場。両手を高く上げニコニコの笑顔で歩いてくるバヤさん。小さく手を振りながら堂々と歩いてくるやまじゅん。お腹の前辺りで優しく聖母マリアのように手を組みお辞儀をしながら歩いてくる椎木。三者三様で登場するなり会場全体の空気が、視線が、熱気が中央に引き寄せられていく。
ステージ上には4本のスタンドマイクと2つのドラムセットが用意されている。正面が無いように360°全てに見せようという心意気。自分の目の前にあるマイクスタンドとドラムセットで始まるみたいで、いつもの通り3人がそれぞれに拳をぶつけて(拳を当てる前に椎木が下唇をンっと前に出して変顔をしてチョケながら笑いあっていた)、円の中心で円陣を組み気合いが入ると一瞬で響く快音。同時にステージが照らされると強い音圧で轟々とライブバンドの音が響き渡っていく。
ブルーのライトが天から地へカーテンの様に照らされるとバンドは神格化されていて、照明とは違う強い光を放ちながら始まった1曲目"優しさの行方"。客席側を向いて演奏するのではなく、3人が向き合って演奏する姿や、1曲目に"優しさの行方"を持ってきたことが相まって2020年に公開された彼らの配信映像作品"Youth Baseball"を彷彿とさせる。2年前はコロナ対策でお客さんのいないライブを届けていたが、歩みをとめずに模索し続けて、同じような円形の構成で、パンパンのお客さんの前でライブする姿は逞しかった。温かみのある照明が全体を包み込むように照らし出すと優しさが広がっていく。伸び伸びと歌声が響き渡って、ギターのアレンジが加わって、それらを支える安心感のあるドラムとベースが合わさってどっしりとした四重奏。「ああ、これだよ、これ。忘れかけてたけどこの底知れない安心感と底に見える優しさがマイヘアのライブの強みなんだよ」と心の中で完全に理解し直すと身体は軽くなっていて惹き込まれる。
続く2曲目は"グッバイ・マイマリー"。東京で聴くこの曲は情景が想像しやすくどこで聴くよりも染み渡る。同じ東京、日本武道館でこの曲を聴いた時、"好きだった"人、事、物、を歌い上げる度に椎木知仁は切ない表情で噛み締めながら歌っていたけど、ここヨヨイチではニコニコと楽しそうにしていたのが印象的だった。彼の中で、曲の中の主人公(自分自身)もそのヒロインになる元カノも受け入れて昇華させて上げられたみたいに感じて、楽しそうに演る姿に目が滲んだ。
3曲目は"愛ゆえに"。顔をくしゃくしゃにして歌い上げ、これまた楽しそうに演奏している。自身の経験値があったとしても曲の世界観を壊すことなく、面倒臭い女の子にも、それに疲れてしまった男の子にも成れる椎木知仁のヴォーカリストととしての表現者としてのポテンシャルの高さにまた驚かされた。
個人的には「綺麗な浮気ですね〜ずっと側にいてほしいの」までが1番感情的でゾクゾクしたしニヤケました。
4曲目は"ドラマみたいだ"。弾き語りで「新潟の上越で出会って、ライブハウスでバヤちゃん、教室でやまじゅん誘って初めてライブした。あの日から15年たった、2022年、あの時のまま今日代々木に立っています!どうもありがとう!!」と話し、歌が始まる。愛し愛されるのは難しい、愛に気づけないから傷つけ傷つけられていると歌うこの歌を、ここヨヨイチで聴いた時「大切なものを見落とすなよ」「伝えたい想いは言葉にしないと伝わらねえぞ」という想いも伝わってきて、心をグッと刺された気がして少し胸が苦しくなった。歌い方なのかいつもより言葉に重みがあって、強く印象に残っていて正にドラマのワンシーンみたいだった。
「来てくれてどうもありがとうございます。ツアーファイナル、昨日と今日の2日目。大切な土曜日に、時間、お金、身体全部使ってここに来てくれたこと、本当に感謝してます。今日という日が、ただMy Hair is Badのライブを見に来た日で終わりませんように。やってる側と見てる側で分かれませんように。どうかこの真ん中で、正面のない真ん中でひとつになれますように。気持ちを込めて精一杯出し切って帰ります。」
手振りを加え息を切らしながら真剣な眼差しでそう告げると、全ての照明が赤に変わって、ステージも客席も全てを赤く染めて始まった5曲目"真赤"。彼らの代表曲でもある"真赤"だが、ライブの序盤に来ることは珍しい。代表曲を後に回さなくてもいいほどに、もっともっといい曲が生み出され続けているんだなと改めて実感した。それだけいい曲が多くてもやはりこの曲の爆発力、厚み、鋭さはどの曲よりも洗練されていて心の深いところに入っては更に突き刺してくる。特に大舞台で堂々と披露されると余計に鋭さが増す。まるで椎木知仁の忘れられない思い出(感情)を言葉というツールで心に刺して、その傷口から思い出(感情)を流し込んでくるようにまっすぐに歌詞が沁みていくのがわかった。でも、今までと違っていたのがこの曲を歌い終えた後。今まで(自分が最後に観た2年前まで)なら、「大好きだった」とか「忘れられないよ」とか歌い終えた後に言っていたのにそれがない。ペットでもいいから君の側にいさせて欲しいと乞う気持ちで作られたであろう"真赤"。その思い出たちも薄れてしまうくらいに昇華されていた。ここヨヨイチでは歌い終えた後に2,3歩マイクから離れて「ありがとう」と口を動かしたように見えた。どんなに忘れられないと思っていた事も、妬いていた気持ちも、それぞれを許してあげることで薄れて、曲の中の人物たちに感謝をもって解放していた。この"解放"の瞬間に立ち会えたことを誇りに思う。どの会場で見た真赤より熱くて感傷的な"真赤"だった。
"真赤"にて瞬きすることも忘れるくらいに完全に惹き込まれていて、金縛りにあっているのかのように自分の体の動かし方も、思考も止まって、目の前のライブを目に脳裏に心に焼き付けることだけを繰り返していたなか、静寂を切り裂くように始まった6曲目"悪い癖"。弾き語りからの入りがすごく好きだけど、今回はお預けでした。すごく辛そうな表情で「別れは惜しいことだよ」「思いやりがないことは悲しいよ」と歌詞に想いを乗せて語り掛けてくる椎木知仁が、感傷的になっている心に更に追い討ちをかけていて胸の当たりが苦しくなった。この"悪い癖"を皮切りにギュッと苦しいナンバーが続くことをまだ知らなかった私は、この切なさを耐えるために下唇を噛み締めることと、右手の拳を強く握ることで自我を保つことしかできなくて、まだ前半なのに体が固まってた。
7曲目に披露されたのはを"予感"。2020年の椎木知仁の美しいとは言えない大恋愛からの大失恋を歌った"予感"では、このセットリストの中で"悪い癖"で相手にさせた寂しい思いが回り回って自分に返ってきたように感じさせていてさらに心を苦しくさせる。オリンピックの会場となったここヨヨイチで、「オリンピック中止のニュースすら聞こえないくらい恋してた」と歌う彼の姿はとても寂しそうだった。場所も相まって当時のことを物凄く思い出していたのだろう。相手のことを本気で自分のモノにしたくて、愛とは違う、愛情をもっていたんだろうなあとしみじみと感じた。曲が進むにつれてより胸が苦しくなる。心臓が動いているのかわからないし、呼吸を忘れるほどに張り詰めた空気が会場を包む。ずっと寂しそうな演奏を見せ続け空気を変え続けたMy Hair is Bad。これが彼らの本来のパワーのように感じた。
8曲目は新曲"綾"。演奏する前に椎木知仁が「誰のためでもない、僕が僕のために作った曲です。予感の続きと思って聴いてください。」そう言い放つとマイヘアには珍しいジトッとしたバラードが演奏される。「もしも二人もっと早くに出会っていたらどうなってたかな?」とか「1ヶ月に1度だけ甘い夢に触れた」とか自分が不倫の相手と分かっていて、相手を自分のモノにしたいけどそれは絶対にできないということも分かっている。そんな歌詞が涙を誘う。経験することのない大恋愛だと思うし、美しいとは言えないけど、1曲の中で映画を見せられているように深く突き刺さる。哀愁に包まれてしんとした会場に、相手に別れを告げるように最後の歌詞「さようなら」を歌い上げた瞬間に自分の目からは涙が溢れていた。マイクから少し離れると、聞こえないようにそっと「バイバイ」と口を動かして、思い出にも、相手の方にも、しんとした空気にも優しく別れを告げ冷たい空気を終わらせたように見えた。
限界の寂しさ、切なさに追い討ちをかけるように披露された9曲目"卒業"。渋谷区でこの曲を聴けることに嬉しさもあったけど、怒涛の失恋ソングの連鎖で切なさの方が感情の比率的に圧倒的に強くて、苦しかった。「渋谷駅前は今日もうるさい」と歌い始める椎木知仁の表情はどのライブより切なく苦しそうに見える。聴き手以上に本人も辛いのだろうなと勝手な想像を膨らませる。「君が好きだった」と精一杯の思いを込めて歌う姿は、"悪い癖"や"予感" "綾"のそれぞれの主人公に寄り添うような、包み込むような儚い優しさがあふれ出ていた。最後の歌詞「恋人でも友でもない、2人からの卒業」と強く優しく歌い上げると、そこまで寄り添っていた主人公たちを供養するように歪みを効かせながらぐしゃぐしゃになりながらギターを弾き倒した。このギターの音色で切なさや胸の苦しさまでもが解き放たれて、我に戻ると呼吸を忘れていたことに気づいたし、知らずに涙が流れていたことにも気づいた。同時に"悪い癖"から強く噛み続けていた下唇も、強く握り続けていた拳も解けてじんじんとした痛みが伝わってきた。寂しいお別れの歌だと思っていたけど、寂しさから卒業させてくれる曲になっていたこの衝撃は忘れられない。
「俺らも全員が30代になって、年々大人になっていると思うんだけど、大人になることは器が大きくなることだと思います。昔の恋人でもそうだけど、他人の幸せを願えなかったら幸せになんてなれないよな。赦したことで赦される、そう思ってます。」そんな言葉を投げかけて、始まった10曲目"味方"。過去の自分の想いも全てを赦して、今の幸せの糧になっていると昇華させたことをこの大舞台で伝えたのは彼なりの覚悟や優しさなのだろう。さっきまでの切なさとは打って変わって、計り知れない優しさが会場中、身体中を駆け巡っていく。温かみのある照明が、My Hair is Badを優しく照らす度、太陽の様に煌々と輝かせていて、3人の背中は本当にヒーローで、どこまでも寄り添っていた。「君が笑えば何もいらない、君がいれば僕は負けない」と力強く歌うと、脳裏には恋人の存在がチラつくが、このライブでは「君=この会場にいる全員一人一人」を指しているように思えてどこまでも僕の、僕らの味方であり続けるという覚悟にも思えた。セットリストの中で最も温かみがあってやさしい気持ちで溢れ返った1曲だった。
「今日で終わっちゃうのは凄く寂しいけど、その寂しさも置いて行けるような日にしたいと思っていて、これから激しい曲やっていくけど、ついてこれますか??」と呼びかけて、しんみりと落ち着かせた心に対して火を着けるため放った11曲目"告白"。即座に軽快なビートが刻まれると瞬く間に会場のボルテージはグングンと昇っていく。同時に自然と拳も突き挙がって表情が柔らかくなっていた。360°ステージではバヤさんと椎木が無線のアンプシールドを繋いでいたのが不思議だったけど、一瞬にして意味がわかる。2人は360°を縦横無尽に駆け回りながら歌を演奏を続け誰よりも暴れ倒して見せた。椎木がピックをすぐに投げ捨てる癖が出始めていたので、完全にノッているんだと目に見えてわかるし、力強く歌声にも現れていて、彼らを止めることは誰にも出来ず、置いていかれないように必死に刮目していた。
3分ちょっとの"告白"を駆け抜けると続けざまに始まる12曲目"熱狂を終え"。疾走感のある前奏が"告白"で高くあがった拳をさらに高く力強く突き挙げる。ステージ上を笑顔でぐるぐると駆け巡りながら演奏する、バヤ&椎木が会場の笑顔を呼び戻すと照明はその笑顔を照らすかのように全体を明るく照らして、スモークも薄れて晴れ間が見えた。寂しさの限界でかかった雲(モヤ)を明るく照らすMy Hair is Badは、雲にも太陽にもなんでもなれると実感してたまらなかった。間奏中にバヤさんが自分の方を指さして、放られるピック。惜しくもあと40cm手前に落下してしまって悔しそうな表情をしてたのも印象的で、一瞬の出来事すぎて何が起こったのか分からなくて呆気にとられてた。(撤収時にスタッフさんがピックを蹴り入れてくれました。ありがとうございます!)
椎木の「クリサンセマム!!!」という叫び声によって始まった13曲目"クリサンセマム"。30秒にも満たないショートチューンだけど、勢いと歌詞が一気に会場を惹きこむ。正直このライブで1番と言っていいほど聴きたかった曲で、コロナ禍でもこの曲の爆発力は健在しているかどうかを確かめたかったし、受け取ったモッシュダイブも声も出せない自分たちがどうなってしまうのか気になっていたからとても嬉しかった。結論として、この曲の30秒でギュッと圧縮して爆発する威力は健在(なんならパワーアップ)してた。「いないいないばあ」をシンガロングできなかったり、モッシュダイブできなかったりする状況を、(自分も含めて)自然と手を振り回したり、ジャンプしたりして発散させていた光景も忘れられない。演者と観客の線引きはもうとっくになかったけど、たった30秒でそのひとつの塊をさらに強めた"クリサンセマム"大優勝。
"クリサンセマム"からほんの一瞬ストップして、照明が暗くなって、歪なギターが鳴り響いた14曲目"ディアウェンディ"。前奏では目がチカチカする程に激しく移り変わる照明がこの曲の破壊力を後押ししてくる。"フロムナウオン"ほどでは無いが、即興の歌詞を紡ぐような歌になっているディアウェンディでは椎木知仁が自分たち、自分のことに触れる。1番のAメロBメロでは「今日3月26日、一粒万倍日、天赦日、寅の日全てがそろって縁起いい日!縁起の良い日に来てくれたお前らに今日、マイヘアの日も付け足す!特別な土曜日へ!」「みんなでマイヘアに、お参り!!お参り!(椎木自分で言いながらちょっと笑ってた)」などと歌ってからのサビで大爆発。突き挙げていた拳に誰もが力が入る。2番では「どこぞのバンドマンが週刊誌に撮られて、女の子とスタバ行ってましたけど、あいつマンゴーパッションティーみたいなやつ飲んでたぞ!?💢甘いだろ!!なんだよマンゴーパッションティーって、もっと苦いの飲めよ!!💢アイスコーヒーとかにしとけよ!そっちの方がカッコイイだろ!!💢」と自身の週刊誌報道(週間女性の記事)に触れて自身に怒っていてめちゃくちゃ楽しそうだったし、週刊誌に怒るのでは無くて、過去の自分に怒っているのがとても椎木知仁節が効いていて最高だった。「みんなも宮下パークでお茶しようぜ!」というポジティブ過ぎる煽りもバンドマンらしくてすごく良かった。彼らの規模が大きくなって、世間的な認知も増える度にバンバンと色々な記事や報道が出てしまうのかもしれないから、それを気にして活動に影響が出て欲しくないと願っていたけど、ネタに出来るほどに大きくなった人間性がとても素敵で、妬いてばかりの椎木知仁も好きだったけど、この向き合い方ができる彼がとても大好きだと思った。
暴れ倒して走り抜けた"ディアウェンディ"で止まることはなく、続けざまに披露した15曲目"ワーカーインザダークネス"。線状の光が会場全体をクルクルと照らすと、ヨヨイチは体育館からダンスフロアに早変わりしてみせた。仕事の闇や苦労を病み全開で歌い上げる姿はとても楽しそうで、彼らのバンドマンとしての仕事の楽しさが伺えた。この曲を社会人の自分が聴けたことが嬉しく感じたのは、学生にはわからない苦労や疲労を知っているからだと強く思う。「毎日限界だ」とは思っていなくても、その歌詞が刺さるのは心のどこかで限界だと感じているからかもしれない、もっと労わってあげようと自分に優しくなれた。彼らは惹き込むことで身体を軽くするだけではなく、自分自身の代弁者として言って欲しいことを大きな会場で全体に伝えることで心を軽くしてみせた。仕事は大変なことが多いけど、こんな風に言えない思いを言葉にしてくれる味方がいるのだと分かると、より頑張れる気がした。
激しい曲の流れをビタっと止めて、椎木知仁が右手の人差し指を天井に向けて口を開く。弾ききったギターの弦を抑えないから、ハウリングしているような歪な音だけが会場に響き渡ると、会場中の視線、照明、空気までもが椎木に集まっていく。「今日は本当にどうもありがとう。360°全部からここの上にパワーが集まってる。気が集まってるんだよ。水が蒸発して雲になって、雨が降るように、みんな一人ひとりの力がこのステージの上に集まって、俺らに降ってます。このパワーがどんなことかわかる?」「凄いんだよ。言葉を無くしてしまってるけど、とにかく凄いんだ。みんな一人ひとりからたくさんのパワーを貰って、今日はここに立ててます。」
「テレビをつければ、コロナだ戦争だって暗いニュースが溢れてる。昨日も帰る場所のない子供たちが家を変えたなんて言っていた。ただ、困難はみんなにだってある。俺は戦争の被害者でも無いし、その気持ちはわからないんだ。」「もっと強い言葉で言うなら。どこかで誰かが死のうが関係ない。俺には今日ここに集まった人達を幸せにしたい。来てよかったと思ってもらいたい。その気持ちだけでやってます。」「ダイナマイトホームランツアー、ダイナマイトはここステージの上で爆発するんじゃない。お前の心のなかで爆発するんだ!!心の導火線に火をつけろ!!!フロムナウオン」そう言い放って始まった16曲目"フロムナウオン"。本心から溢れ出る裸の言葉ひとつひとつが全身の神経を触れに触れて頭の先から足の先まで鳥肌が立っていた。あえて「強い言い方」を使って伝える、それが彼らしさ、彼ららしさであって、平和を願っているけど、今は目の前にしか集中できないという人間らしさが痺れた。もしかしたらその言葉は良いチョイスでは無いのかもしれないけど、その不器用さも自分らしさも心に刻み込むような強い言葉で、兎にも角にもカッコイイ"ロックバンド"を体現していた。10代のわからないを歌った曲は、現代の悩みを赤裸々に歌って、その中には優しさが溢れていて、彼がMCで言っていた「優しくなることは器が大きくなること。」を魅せ続けた。大人になった(器が大きくなった)3人はどこまでも遠くまで連れて行ってくれる気がしたり、それでもずっと側にいてくれるような気がしたりして、ずっとついて行きたいと切にそう思わせてくれた。バンドという美しい生命体を強く感じた。
ぐっと心を捕らえられたまま前奏が始まった17曲目は"戦争を知らない大人たちを"。20代前半の椎木の生き様を歌ったようなこの曲。戦争を知らない大人たちも現代の波に揉まれて争いを経験していると力強く語りかける姿に強く心を打たれた。戦争の現状を知ってしまった今だから、日常を歌うこの歌が日々生き抜くことの難しさを表しているように感じて鳴り響く全ての音に、耳も心も自分の全てを持っていかれた。全身を使って全力で切なげなギターソロを弾き倒す椎木知仁が何故か平和の象徴や若者の象徴のように見えたのは、生み出す音にも、動きの全てにも愛がこもっていたからだと確信していた。会場中に平和な空気を、愛を配るその姿は物語の主人公のように、ヒーローのように目に映ってしまって、そのヒーローに愛も期待も、自分を重ねるも、してしまったから、もっと好きが増していた。
椎木が「今からの4分間だけ、2020年の春に戻ります。」そう告げて始まった18曲目"白春夢"。円形のステージを下から白いライトが照らし出すと、同時にスモークがたかれはじめて、玉手箱のようなタイムスリップしているような感覚に包まれる。コロナウイルスが蔓延して、その後の生活に慣れなくて、制限が多くて、最低だった2020年。その年の暮れに出したこの曲が何度私を救ったんだろうか、報われたんだろうかと、しみじみと感じている間に曲は進む。曲名になぞらえて白を基調としたライトが永遠と照らし続ける度に、あのどこか心寂しく薄暗かった2020年に今になって光が当たっている気がした。この曲が生まれたことも、この場で聴くことでまた救われた経験も、全てはあのどんよりした経験があってこそなのかもしれない。最低な暗い経験も最高に上書きしてくれたMy Hair is Badは強い光であった。
「この曲は僕らの地元、新潟県の上越を歌った曲です。今日みんな凄く集中して聴いてくれて嬉しいですけど、この曲は肩の力を抜いて、自分の地元を思い浮かべたり、わかる人は上越のことを思い浮かべたり、みんなが持っている地元を思い浮かべて聴いてほしいです。」そう言って始まった19曲目"ホームタウン"。オレンジ色のライトはあの街(地元)の夕焼けを思い出させてくれて、それに付随する思い出もフラッシュバックさせてくれた。あいにく上越に訪問したことがまだない(めちゃくちゃ行きたい)から、今回は自分の地元を思い出していたけど、小さな日常の記憶が蘇る度にたくさんの人の温かさや友情、愛情を呼び起こしてきてホッコリしながらも少しうるっとした。会場内の全員の脳内に見える地元の景色もきっと同じような温かさであふれているんだと気づくと、会場内は愛で溢れていた。ド頭から一体感が強いこのライブだからそう強く思った。
20曲目は"宿り"。全員が30歳を迎えた彼らが、「若かりし頃から時が経って」と重みのある演奏を始めると、過去の思い出のフラッシュバックをさらに加速させた。My Hair is Badは青春時代、常にそばにいつづけてくれた(ている)バンドだから、昔の楽しかった苦しかった全ての感情が呼び戻される。ライブを通して、過去も現在も許すことの大切さを説き続ける彼らは、観客ひとりひとりの過去の誤ちや失敗すらも優しく包み込んで許しをくれるように見えて、神様とも仏様とも違う、自分と同じ"人間様"が誤ちを反省していた過去を認めてくれたように思った。過去も今この瞬間も全てを優しさであふれさせたから、会場中はもちろんやさしい気持ちで溢れていていて暖かい空気が心地よかった。
やさしい気持ちが満ち満ちた会場内に「今1番新しいマイヘアを見せます!」と言って放った21曲目"歓声をさがして"。My Hair is Badが青春に味付けをしてくれたと思えるのは、青春っぽい歌詞が多いからでもあって、この曲も「ファミレスでポエムばかり綴っていたんだ」とか「馬鹿みたいにただ僕は君のことが好きで」とか誰もが持っている青春時代を思い出すようなワードが綴られている。青春を終わらせず、好きをただ好きなだけで終わらせず、好きな物に好きなだけ熱中してみればと歌を通して語りかける椎木知仁が、あの会場の中で誰よりも"好き"に素直で熱中していて、少年のようにキラキラした瞳で歌っているその姿が美しかった。ヨヨイチでMy Hair is Badが魅せ続けるライブを堪能すればするほど、My Hair is Badを好きになり続けるその度に、その場にいた全員も好きになっていたのは、会場が完全にひとつの生き物になっていたからだと思う。
22曲目、本編ラストに投下したのは"アフターアワー"。「このドキドキがずっと続きますように、最後にドキドキしようぜ!!」と投げかけて本編ラストを飾る。いつもなら最初に披露する楽曲を最後に持ってきた意味を考えてたんだけど、絶対に"俺たちの新たな旅の幕開け"だと思う。メディア露出やサブスクの解禁など様々な仕掛けで挑みを始めた30代。My Hair is Badが現状のまま死んでいくことはないと感じさせるその心がとても嬉しかった。最後に披露された曲が今日のどこよりも力強く聴こえたのは覚悟の現れなのだろう。「ドキドキしようぜ!」の呼びかけが過去一でドキドキしたし、拳を握った腕は限界まで突き挙がっていたから彼らのカッコ良さは最後まで全力だった。力強さ、優しさ、儚さどれもがずっと全力投球だった彼らは、心のダイナマイトを爆発させるだけじゃなく、その威力を何倍にも何十倍にも強くして、心に焼き付けて帰って行った。鳴り止まない拍手はその意識の共有とも感じ取れたし、誰がなんと言おうと素晴らしいライブだった。
3人が去って、会場に明かりが灯ると意外とスモークでモヤがかかっていたことに気づく。アンコールを声で呼べないので、鳴り止まない拍手がその代わりになる。止まることなく叩き続けられた拍手に応えるように、再度登場してくる3人。汗が滴る表情は晴れやかで満足そうである。登壇すると、談笑が続く、この日何度も述べている感謝の言葉を述べ続けて「こういう大きいところでやれるのは自分のなかでご褒美のように感じていて、そこに力を貸してくれて本当にありがとうございます。」と話した。最後に椎木が「今日まだ話してないけど、やまじゅんどうだった?」と聞くと、マイクを通さずに「最高!」と一言。全体に響き渡るその声が、演者としても本当に良いライブだったといえるのが分かって嬉しかった。
アンコール1曲目に選ばれたのは"カモフラージュ"。My Hair is Badへの愛を歌う3人の演奏は軽やかでかつ、想いがこもっているようで、これが愛だったんだって直感でわかった。スピード感のあるイントロから駆け抜けるように紡がれる曲はこれからもマイヘアが留まることを知らないと伝えるようで、龍のように天まで登って行くようだった。マイヘアらしさ全開で疾走感のある心地よい楽曲はライブ映えしすぎるし、とてもとてもカッコよくて、こんないい曲が1曲目の新譜が早く聴きたくてたまらなくなった。
アンコール2曲目は"いつか結婚しても"。愛情で満ち溢れたこの曲はマイヘアからひとりひとりへの感謝を愛情で表していたし、フロアもその愛に答えるように楽しんでいた。ラスサビ前、いつもならシンガロングが起こるパート(大好きで大切で大事に思っている、愛してるなんて取っておけばいいよ。大したことなど起きたりしないけど、大したことなんていらないよ)では、椎木が「心の中で歌ってよ」と言ってマイクから離れると、会場内12000人の観客の一切ズレがない大きな拍手が鳴り響いて、歌声より力強く鳴るその音が会場の一体感を可視化させた。初めに言っていた「ひとつ」に間違いなくなっていたし、3人が言っていた「真ん中に気のようなパワーが集まっている」の意味もわかった。力を貸してほしいと言っていたから精一杯の力を送っていたつもりだったけど、そうじゃなくて、12000人と3人がそれぞれ送りあっていただけで送った分よりずっと多くの力を自分以外の人たちからたくさん貰ってた。その源の多くはマイヘアなのかもしれないけど、"好き"を共有していたあの場にいた全員から受け取ってたんだと思う。最後の最後に力の受け渡しをして、ライブの凄さを改めて気づかせ去っていく3人。大きな声でありがとうを言葉にして返せないのがもどかしかった。
精一杯の感謝を届けるように、会場中から鳴り止まない拍手が起こり続け、それがいつの間にかダブルアンコールを求める音に変わって駆け戻ってきたマイヘア。走って登場して、急いで楽器を手にすると「最高の夏へ!」と夏のはじまりを告げて繰り広げられた"夏が過ぎてく"。歌、ドラム、
ベース、ギターそれぞれが特に際立っていた"夏が過ぎてく"は夏に向けてパワーを送ってくれているようだった。レア曲を生で聴くとついつい身体っていうのは動いてしまうもので、誰しもが歌い始めた瞬間から拳を高く上げていて、(自分も含めて)なかにはその場でジャンプしてしまう人もいてライブが終わってしまう寂しさを隠すようにアグレッシブな演奏が続いていた。椎木はイヤモニを外して会場の音を噛み締めるように演奏していたのが印象的だった。「お前らが呼んだんだぞ」と煽ると会場の熱気はさらに増していて、会場は夏よりも暑い遊び場になって、嬉しいとか終わるのが寂しいとか色々な感情も上乗せして想いも熱くなった。あの瞬間が1番ライブハウスしてたし、ライブハウスで見せる本質的なMy Hair is Badだった。熱狂に包まれ続けてて曲を終えると、ありがとうと言って会場を背にした。感謝を込めて歩いていく背中がとても広く感じて、この人たちについて行けば素晴らしい世界を観さしてくれると改めて確信した。
ここ代々木第一体育館では、セットリストに"元彼氏として"が入っていなかったことに終わってから気がついた。大きな会場で、未練タラタラ、嫉妬心剥き出しで元カノに向かって「俺は○○でワンマンライブだって出来るし、どうなの?」とか、「元カノ観に来てんの知ってんだぞ?」とか曲中に語りかけるシーンが"悔しくも女々しい本心の男心"という感じがして大好きなのだが、今回はそれが無かった。単純に他に魅せたい曲が多かったと言われればそうなのかもだけど、個人的にライブを観終えて思ったのは、嫉妬してばかりの自分も、マウントを取りたくなってしまう程に大好きだった元カノも赦したんだということ。ヨヨイチでは過去の登場人物全員を赦して救ったから、(定番曲でもある)この曲を披露して妬いていた気持ちを昇華させる必要がなかったんだと思う。縛りから解放されたようにも思えたし、逆に次披露するときは、負の気持ち嫉妬(ヤキモチ)に、正の気持ち賞賛(ヤキモチしていた自分やそうさせた相手を許して認めた心)を掛け算してさらに強い負の感情が乗るんじゃないかなと期待してしまい楽しみでしかない。椎木知仁が昔の自分をどんどん許して仲間にする事で、表現の幅が無限になると、もっともっと厚みのあるロックバンドに成っていくんだろうなあと感じた。
My Hair is Badの3人が奏でるロックが心に刺さったり、涙を誘ったり、感情に語りかけるのはきっと優しさが溢れているからだと思う。ライブを通して、「相手を赦してあげることで自分も赦されること」「幸せのハードルを下げることで、今の幸せに気づいて大切にできること」「愛は実は送るだけじゃなくて、気付かぬうちにたくさん貰っていること」を説いている気がしてそれら全てを紐解くと出る結果は「優しさ」だと感じた。MCの途中で「俺の直線は誰かの曲線」と話し、考え方や感じ方は人それぞれだから同じになるのは難しいと言ってたけど、間違いなく代々木でのライブ中はみんなとひとつになれていたし、マイヘアはめちゃくちゃにカッコイイんだと共通の認識を持っていた。難しいことも言葉や音楽を通して、噛み砕くことで易しくも優しくもなれるんだと再認識できて嬉しかった。自分の現状を再び考えることで見えた小さな幸せも、あの場は間違いなく最も幸せだったことも、それら全てを気づかせたこの経験が最高だった。儚さも優しさも強さも愛情も全てをさらけ出して、寄り添うMy Hair is Badが最もカッコよくて、エモいなんてダサい3文字で括ることは到底できなくて、光でも闇でもヒーローにもヴィランにもなれるMy Hair is Badという生物が僕にとって何よりも味方だよ。いつも救ってくれて本当に本当にありがとう。
最後の方のMCで「なんだか最近少しだけ終わりが見えてきた気がして。だって、70歳になってブラジャーのホック外してたらヤバいでしょ笑」「いや、70でブラジャーのホック外してるのもロックでカッコイイかもしれないけど笑」「いや、終わる気はサラサラないんですけど、終わりを考えるときもあって」と話していた。圧巻のライブを
し続けているMy Hair is Badがライブを重ねる毎に進化する度、これ以上のライブはない!を更新し続けていて、永遠と伸びしろなんだよなあと思っているけど、人の命はいつか終わるんだと再認識したのでこれからもMy Hair is Badのライブを、挑戦を、肌で全身で感じていたいと思った。と同時に、「これからもずっと頑張っていくので、これからもよろしくお願いします!!」と話すMy Hair is Badに全力で強い期待を持てた。
「ライブハウスで養ったものを大きい会場でしっかり表現できて、良かった。大きい会場はご褒美だ」なんて言ってたけどそれはお客さんだって同じだよ。非日常をくれるライブはご褒美で、それが大きな会場なら思い出ポイント(OP)も増えるし、記録されるように強く頭に記憶されるし、大ご褒美だらけで本当に幸せだった。あの場でバンドもお客さんも全員でひとつになってたんだから、ありがとうもご褒美も同じ気持ちなんです。幸せな経験をどうもありがとう。これからも挑戦し続けて、場外ホームランを超える更なる高みを側で観させてください。大きな愛を込めて、ありがとう、My Hair is Bad。