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ニセアカシアの花吹雪の中を。 その1
4月の下旬から5月の初め。
ニセアカシアが一斉に白い花を房状につけて満開になり。
朝窓を開けると、甘い香りが部屋に流れ込んでくるのです。
外を歩いていると、ニセアカシアの並木道にさしかかる前に、風が花の香りを含んでいるのがわかるのでした。
10歳から20代初めまで住んでいた町の、駅までの道のりには、沢山のニセアカシアの大木が植えられていました。
ニセアカシアの花の香りは、少しジャスミンにも似たような、とても良い香りで。私はその堂々とした美しい樹木の姿も愛していました。
花の香りは、咲き始めと終わりを迎える間際では、香調が微妙に変化していくものです。
青い果物が、熟していくと香りが変わっていくのと同じように。
花の終わりを迎える、散る間際には香りは最も濃厚になりつつも、どこか乾いた匂いを忍ばせています。
ニセアカシアが満開を迎え、花が散り始める頃に、私は誕生日を迎えるのでした。
強い風が吹き、まるで雪のように降りそそぐニセアカシアの花吹雪の中を、誕生日にひとりで歩くのが好きでした。
確か、16歳くらいの頃かな。
自分が何をしたいのか、どう生きていっていいのかもわからず、停滞していた時期ですね。なんか常に悩んで絶望していましたね。
いつも下を向いて、考え事ばかりしながら歩いていたな。
1秒ごとに、死について考えていたような時もありました。
生きることと、死ぬことについて。
なんで、人はいずれ死ぬのに、生まれてくるんだろう?生きるのだろうって。
そんなことを、ずっと考えても仕方ないよ、やめなよって。
今の私が、その頃の私に出会ったら言って。抱きしめてあげたいなと思うくらいに。
16回目の誕生日の朝、いつもの道を歩いていて。
その年は例年よりも開花時期が早かったのか、もう殆どの花は終わりかけて。
風がとても強かったのもあって、すごい勢いで雪のように散っていました。
既に、散って地面に落ちた乾いた花が降りつもっていて。
私はその落ちている花々を、ざくざくと蹴散らしながら歩いて。
ああ、これは花の亡骸達なんだなと悲しくなりました。
そして、花はこんなふうにいつか散ってしまうのに。
なぜ、また咲くのだろうと思ったのです。
散る為に、咲くのだろうか。
咲くために、散るのだろうかと。
花たちの、終わりが近い香りに包まれて、
下を向いてひたすら考えながら歩き続けました。
そうしたら、空耳だったのかもしれないけれど。
「また、咲くために、散るんだよ。」
と、声がしたような気がしたのです。
その2に続く*
(2021年に投稿した記事を再投稿しています🌿)