日本の香りの歴史 アロマセラピー⑥
このノートには1990年代後半のイギリスで学んだプロフェッショナルアロマセラピストのトレーニング内容を主観や考察、雑談も交えながら解説します。
日本の香りの歴史
日本文化の伝統の起源となっている多くのものは、中国や韓国からの影響を受けていたことが分かります。お香が初めて日本と関係したのは、西暦6世紀中頃に仏教が日本に紹介された時までさかのぼります。
宗教儀式としての香り
奈良時代(西暦710-794年)は、仏教を支持する権力者が政治力を握っていました。多くの仏教儀式にはお香が欠かせなかったため、宮廷が催す式典や儀式にはお香が必然的に組み込まれていました。こうした式典は日本固有の宗教である神道が土台になっており、お香は仏を崇めるだけでなく、神社仏閣を清めるために使用されたのでした。
この古来の儀式に使われるお香には、沈香、サンダルウッド、クローブ、シナモンおよび樟脳といった、5種類から7種類に及ぶ芳香材を細かく砕いて混ぜ合わせたものが使われました。この種のお香は焼けた炭の上に直接撒かれるという方法で用いられましたが、6世紀になって線香の技術が導入されると、二つの方法が一般的に使われるようになりました。
嗜好品としてのお香
西暦794-1185年の間の平安時代には、貴族がお香を着物や髪に匂いをつけるなどして社会的な集いに利用して以来、お化粧や治療を目的としてお香が使うわれるようになりました。さらには、豊富な芳香材の中から自分の好みでブレンドする貴族が現れました。11世紀に書かれた日本最古の書である紫式部の源氏物語では、お香が高く評価されています。
香道
西暦1333-1573年の室町時代には、お茶会のような香りを利用したユニークな作法が発達しました。それは香道と呼ばれる儀礼化された、香りを「聞く」という形式をとったものです。香道に使われたお香は詞合されたものではなく、南東アジアのさまざまな地域に生育する沈香が使われました。香りは木の質や各部分、根や枝の中にある樹脂の量によって決まるだけでなく、原産国やその木材がどの国に由来しているかによっても異なります。
16世紀には、日本人の香りの鑑定士が沈香の香りを6つに分類し、それを明確に記述したものを残しています。博物館や寺院には100年前の沈香のかけらが残されており、最も輝かしい賞を博した沈香には名前がつけられています。
江戸時代を迎える18世紀には、香道の人気が頂点に達し、その芸道を教える教室が作られただけでなく、女性や平民を含む社会全般にその香りの評価が浸透していきました。やがて、商品化の行き過ぎがあったことや、良質な成分を取得することが次第に困難になっていったことから、19世紀中旬には香道の評判は落ち込み始めました。しかしながら、1920年以降になって、その古い伝統を復興させようという動きがおこり、香道はある程度の広がりをもって現在まで引き継がれています。
アロマセラピーも香道と同じような側面があるようです。人気がでて、一般に浸透していったものの、商品化の行きすぎがあり、良質な成分を取得することが困難になっていった…
アロマセラピーは香道のように流派があって、一部の人たちが楽しむだけのものではなくなっています。多くの人がアロマセラピーを楽しめるようになりました。しかし、補完療法としての側面はいつの間にか薄らぎつつあるようにもおもいます。20年前のように加工されていない精油を手に入れるのが難しくなりました。表現を変えると、おびただしい数の加工された精油が商品化されて、安価で購入できるようになり、それがスタンダードになりつつあります。
話がそれましたが、日本の香りの歴史は香道の歴史を少しだけ、チェックしてみてください。
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