[第10回] ドレミとソラミミ
急遽バイトのシフトが変わってしまったのです。お許しを…。
はい、今回はドレミとソラミミです。初めて聞いたときは鳥肌立ちましたね。ドラムとベーストギターが鳴ってギターで盛り上がるところ。作詞がフジキューのうたちゃんなので、感傷ベクトルでは珍しい歌になってますね。カラオケで歌うと楽しい。ライブでは囁一さんが歌ってカオルさんがピアノをしているのですが、二人が息を合わせて歌っているところが印象的でした。そういえばライブでは少し歌詞が変わっているんですよ。ほんの少し。
○指先そっと躍らせて→指先少し躍らせて
○おいついて はなされて おいついて くりかえし
→おいついて はなされて おいついて あとすこし
挙げ足取りみたいですけどオタクはそういうのを見逃さないのです…。
せっかくなので漫画「フジキュー!!!」の話をば。漫画は、うーん正直に話していいですか。もしよかったら下に少しスクロールお願いします。
一応ここで一区切り。次回は「深海と空の駅」です。
この漫画を評価するならば「囁一さんが原作でなかったら読んではいなかった」です。きつめの言い方ですみません。物語の展開が読んでいて見えてしまうんですよね。フジキューが勝手なことをして溺谷が怒る。そして対立して~って感じで昔どこかで読んだことある感じがするんですよ。(そして今連載中のシアロアにも同じことが言えてしまいます。)ネームの時は溺谷が主役でうたちゃんをスターにするっていう話でそっちの方が僕はそっちの方が面白かったです。邪道っぽくてなにより新しさがあっちにはあった。
僕はシアロアのサエとこの溺谷は囁一さんの成分がほかのキャラよりも圧倒的に多く含まれていると思っています。だからこそこの二人の心情を知ることで囁一さん自身のことが分かるようになるし、なによりそこで生み出されたものは囁一さんにしか作れない唯一無二のオリジナルの漫画になる。それが一番面白い漫画を創ることができる近道だと思います。だからこそフジキューはネームの時の方が面白いと思っています。
じゃあフジキューは囁一さんにとっての何なのでしょう、どういった成分から作られたのでしょうか。ここからはもう自分の憶測でしかないのですが、フジキューは「昔の囁一さん」もしくは「囁一さんの憧れ」から形成されたのではないでしょうか。
前者の「昔」というのはバンドをやり始めたぐらいの音楽の暗いところを知らなかった頃のこととします。何も知らない楽しさや憧れだけで走っていった時期が囁一さんにもあったのだと勝手に思っています。溺谷は「闇落ち」したフジキューだと思います。(闇落ちとしか表現できなくてすみません。)だからこそ何も知らないフジキューは突っ走っていけるわけだし、音 楽の暗いところを知っている溺谷はフジキューに苛々するのだと思います。
後者の「憧れ」というのは言い換えるならば「ヒーロー」です。囁一さん自身がフジキューみたいになりたい、でもそれを簡単にはさせてくれない壁(=溺谷)がある。それをこのヒーローがどうにかしてくれて、最終的には自分自身が救われる、そういうことがしたかったのではないでしょうか。この二人が対話をするときに交わされる言葉は現在進行中で囁一さんが抱えている悩みでそれに今ある言葉で必死に答えを探そうとしているんだなと考えながら読むとこの漫画の見方が変わります。
でもそこまで考えて読むのは相当の囁一さんファンでないとしないことで、大抵の読者はそこまでしないしできないと思います。(僕もほかの作品でそこまでのことはしないですし無理です。)その行為をしやすい漫画は人気が取れるのではないでしょうか。(共感できるかは置いておいて)
さてシアロアはどう転ぶのでしょうか。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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