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世界一周? 成長してねえな、俺(笑)

俺は今、夢の真ん中にいる。バンコクの地で生きている理由を噛み締めているんだ。

202X年の冬、俺は世界一周の旅に出た。出発する前は悩みがたくさんあった。だからといって今でも消えている訳ではないし、悩みは常に変わりながら自分の心の中を支配している。でも確実に人生は好転していると信じていたい。今日のこの場所に立つために紆余曲折あった。人にとっては世界一周なんてどうでもいいかもしれない。わざわざ大金をかけて日本より安全ではない場所に行く価値はないかもしれない。たしかにそうだけど、俺にとってかけがえのないものだ。

その前になぜ海外を目指したのか話そう。俺は神奈川県で生まれ育ち、大企業勤めの両親の家庭で育った。だから自分も小さい頃から中の上のくらいの教育を受けていたと思う。家族旅行で欧米などの海外にも行ったことがあるので都会のありがちなファミリーだった。その流れで自分もそこそこの進学校に入って勉強をした。勉強はずば抜けてできる方じゃなかったけど、周りの環境もあって他の人に合わせて勉強していると自分の偏差値は上がった。

進学校の受験生あるある(笑)だが、私立文系大学のトップ校である早稲田大学に進学しようと決めた。早稲田の自由な学風の中で自分探しをしながら世の中を変えられる人になる。そんなぼんやりとした夢を持ちながら、早稲田を受験したら結果は補欠だった。なんとかして補欠が回ってくるのを願っていたが結局回ってこず、滑り止めの明治大学に進学した。不合格になった原因はやっぱり今となっては最後のツメが甘くて闘志の燃やし方が足りなかったと思う。でも、明治大学は早稲田の雰囲気に近くて自由に自分の理想があった。

そして、初めて海外というものを意識したのは大学の時だった。明治大学に進学して自分の時間ができて初めて友達と韓国旅行に行った。最初だから距離の近い韓国に行ったけど、日本語も通じたことから「海外って難しそうだけど簡単」というなんとも言えないクリアした感と高揚感の虜になって海外に渡航することにハマった。東南アジアやヨーロッパ、それからアメリカ大陸なんかにもバイト代を貯めて遊びに行った。大学は自分のための時間だから限りある時間を謳歌しようと思って精一杯海外のために時間を割いた。変わっているカッコいい自分に憧れて他の人が選ばないようなタイで留学を経験した。これらの経験と引き換えに留年してしまったけど、当時の俺は大学は長いほど自分探しの時間になると思っていた。

そして、就活は嫌々ながらやってのけた。色々落ちまくって自分が嫌になってしまう日もあった。特に早慶のできそうな人たちを就活の現場で見ることは、自分が留年しているから彼らは年下とわかっていたとしても超えられない壁を感じてしまう。俺は結局、出版社から内定をもらいそこで働くことになった。面接では、大学生にありがちな海外渡航の経験を頑張ったことをアピールしたら行動力を買われたらしい。俺がこの仕事を選んだのは、書くスキルが身につくからもしかしたら将来、海外で旅をしながらライターをやれるのではないかとスケベ心ながらに思っていたのだ。

それから社会人になって仕事をこなすようになるのだが、モチベーションは低い。何かとミスをして怒られるし、仕事の時間も不規則でブラックだと叫びたい日もあった。そんな日常から逃げ込むようにして俺は1週間ほど有給休暇を取得してタイへ逃げ込んだ。大学ぶりに感じるタイの雰囲気は心地いい。日本人に社会に比べて人がのんびりとしている。自分の中で何かの亀裂が入った気がした。

28歳。帰国してから俺は辞表を突きつけた。俺が求めていた書くスキルは身についたので、フリーランスになって世界を旅しようと思ったのだ。でも、時に不幸なことに人は出会ってしまう。俺がフリーランスになったタイミングで新型コロナウイルスが大流行した。結果として海外の道は閉ざされる。正直ブラックであっても退職したことを後悔したと思ったのだが、ピンチをチャンスに変えるべきだと思って、海外で旅しながら働くことのシュミレーションとして日本国内を旅しながら働いてみた。移動生活は大変だったけど、違う景色と違う人々に触れることができて本当に楽しかった。会社員時代の貯金も食い尽くしてしまうほどだったけど、経験を買ったと思えて自分の幸せのベクトルを見つけたような気がした。

そんなこんなで月日が流れるとコロナも落ち着いて海外に行けるようになってきた。ついに夢に見た世界一周に行ける日がやってくる。でも、俺は経験をその都度買ってきたことから会社員時代の貯金を食い尽くしてしまった。だからTwitterを使ってクラウドファンディングを呼びかけてみたところ「働け」という大批判を食らった。それでも中には優しい人もいて旅の資金を出してくれた人もいる。さらに旅暮らしをしながらできる仕事を振ってくれる人も現れた。だから「なんとかなる」「挑戦するなら今しかない」という思いで海外に旅立った。

仕事分のお金は将来手に入るとして、手持ちにあるお金は60万程度だった。自前のお金は半分、カンパが半分。旅をすればするほど、残高は減っていく。「19万も持っていない」椎名林檎かよと自分でツッコミつつ、正直仕事を振ってくれても仕事中に旅行はできないし、早くお金が欲しいというのが本音だった。東南アジアなら切り詰めて生活すれば日々の出費は1000円から2000円でどうにかなる。それでも限界があるし、資金が減っていくのは止められない。さらに東南アジアではインフレで物価が急上昇している。急に日本食を食べたくなって日本食レストランに駆け込んでも日本と同じくらいの値段だ。そして、円安になっているので円を持っていても大した額のお金にならない。さまざまな困難が俺を困らせる。

旅に出て3ヶ月経った。毎日切り詰めながら生活しているが、せっかく世界一周に来たならこの瞬間しかできない「体験」を積みたいと考え、アクティビティには課金してきた。そう悩み事を考えながらバンコクのレストランに入った。「うわ、ガパオライスが100バーツ?!俺が大学生のころ、来た時のバンコクはもっと安かったぞ」と思いながら、ガパオライスを食べて、マンゴジュースも美味しそうだったので両方頼んで会計を済ませる。財布の中にはちょうど1000バーツのお札しかなかった。

切り崩したくないと思いながら1000バーツを出しながらふと、見えてきたものがあった。ひょっとして自分は変われていない。大学受験は周りの環境に任せ自分のガッツが足りなくて補欠に。会社員時代はブラックな環境で自分が本当にやりたくないことだからと理由にして、中途半端に仕事をこなして怒られてきた。そして、今、ガパオライスに加えてマンゴージュースも欲に負けて頼んだ。もし、安いお店であれば60バーツくらいで食べられたかもしれない。マンゴージュースだって少し我慢して水でよかったかもしれない。そういった別の挑戦やツメの甘さがひょっとしたら今のこの環境を作っている可能性があると頭をよぎった。

自分の望む幸せ、自分がしたい生き方は世界一周の果てにあるのだろうか?