学費問題について東大生(n=1)が思うこと
昨今の論点について,私が個人的に思っていることを書きます。
所属は教育学部ですが,専攻は心理というか中でも医学に洗脳されていると言っても過言ではないくらいなので,高等教育については全くの門外漢です(その昔教育学に志していた時代もありましたが,取り上げていたのは中等教育でした)。
なのでつらつらと私の主観的な話をします。
2024年6月6日に大学であった集会にも参加していないので,最近の運動で言っていることとは違うかもしれないし,もう言われていることかもしれません。
全体的に,学費など学生とお金の話なので,学費を「上げる」という動きや,いくらが妥当かといった議論はここではしません。
それでもよろしければ,目を通して行ってください。
そもそもの状況
家族構成は,両親と,私を含む3人兄弟の,5人家族です。私が第1子です。
父親は専門学校卒でいわゆるブルーカラー,母親はいわゆるFラン大卒で現在はパートをしています。
父方の家系で言えば私が初めての大学進学者です(まれにSNSに大正時代の教科書を上げるなどしているので弁明ですが,母方の母方だけは戦前から女性も高等教育を受けるような家系でした。でも戦中戦後の混乱で色々なものが失われ,祖母は高等教育を受けられていません)。
私は公立幼稚園,公立小学校を卒業し,国立の中等教育学校に入り,国立の大学に入りました。
中学受験も6年生になってから自分でやりたいと言い出し,志望校とはいえ進学校とは括られないようなところに入り,大学も東大を受けることは自分で決めました。自宅から通える国立か早慶しか学費を出さない,とは言われていましたが。
東大生としては,多数派ではないような生い立ちだと思います。
ただし,貧困かと言われると,そうではありません。どこかで見かけた東大生の家庭の中央値には満たないとはいえ,経済状況の制限がある奨学金はまず通らないくらいの世帯収入です。
現在は実家から通学しており,ありがたいことに,学費を出してもらっています。大学生としては至って平均的な,しかし東大生としては少しだけ平均値中央値から離れたような感じです。
学費問題
さて,ここでなぜ大して利他的でもない私が学費問題に興味を持っているのかです。
ズバリ,「大学院の学費が全額自分持ちだから」。
父方母方とも,これまで大学院に進学した人は一人もいません。
最初は大学院の学費も出してもらえるような話でしたが,親が大学院とは何たるかを理解していなかっただけで,大学院の制度を根気強く説明したところ,「行かなくても良い」ものであれば自力で行けという新たな誤解が生じました。恐らく人生最大のミスです。
研究者として生きていくには大学院に進まざるを得ないし,そもそも臨床心理士/公認心理師を取るのであれば超激レアルートを除き大半は修士課程を修了しなければならないのですが,「大学院はもはや趣味」みたいな考えは今に至るまで数年来ひっくり返りませんでした。
ここで,世帯の収入が自分の学費に回らないが世帯収入がそこそこあって給付奨学金も授業料免除も落ちるという詰みが生じます。
生活費問題
大学院自腹はB1のときに判明したので,以降,収入は絶対必要な経費を除き全額学費のために貯金しています。免許合宿費を親が出してくれたなどというランダムなラッキーイベントは発生しましたが,残りは地方を観光するのも研究費で出してもらった学会の前後などです。
趣味という趣味もなく,授業にたくさん出て,それ以外のバイトで最低賃金でも比較的自分の好きなことをやる,という風にバランスをとってきました。頑張ってバイトをして高い買い物をするとか,お金のかかるサークルで楽しむとか,服にこだわってみるとか,そういう周りを見ていると羨ましくなるし,誘われても無理なので,リアルの対人関係は学問的な繋がり以外かなり薄めです。まぁ対人関係激薄はそれ以外の要因もあるけど。
そのような犠牲により,修士の学費はストレートで行けば払えるだろうという状況です。だろう,というのは,貯金開始時に計算した必要な学費が変動しうるというこちらが制御しようがない要因が現実味を帯びたためです。
この時点で,周りと見比べながら「なんで私(だけ)が」は飽きるほど思いました。しかしまだ飽きておらず定期的に思うので困ります。
そして,学費は足りそうなのになぜ困っているかというと,流石に大学院になったらいい加減家から出たいと思っており,今度は生活費の問題が浮上するからです。一人暮らしをするのであれば,全て自分でやれと言われています。
まぁ,何と言うか,うっっすら,病理を孕んだ家庭でした。正しくは現在進行形ですけど。
何かとフリーダムな高校だったおかげで,せっかく生徒が東大を受けると言っているのに,実家から出た方が良いというだけで最後まで「どこでもいいから地方の大学にしなさい」と言ってきた恩師がいました。進学校出身の人からしたら信じられないかもしれませんが,つまり,そんな具合です。
ところで,地方学生を増やすという議論で上京を阻む要因がよく取り沙汰されていますが。東京にいると,東京から地方に行きたい場合の壁ってほとんど注目されないんですね。
東京には,大抵何でも揃っています。
地方から東京に来るよりも,東京から地方に行く方が,大義名分は見つからないものです。高校同期で動植物を勉強したくて地方の大学に行った友人は何人かいますが,当時私が志向していた教育学は,東大に行けたら文句ないという状態でした。
それで結局東大に来(てしまい)ました。学業上は,本当に恵まれたなと思います。
ただ,この状態で,ただでさえ死にかけている人がいる大学院に進学するのかと言われると,恐らく無理です。かと言って,うっすら家庭環境が悪い程度では,給付奨学金の申請理由としては弱いです。理由を人に伝わるように書くこと自体辛いとかもありますが。
そして,大学の寮に入って生活費を浮かせるといったことも事実上不可能です。実家から大学に通えてしまうからです。
このあたりの問題は数年かけて周囲の知識がある人たちにことあるごとに相談してきましたが,万策尽きたというか,策すら出ずに詰みました。
分野と奨学金問題
なんてことを言いつつ,すずめの涙くらいは,経済状況不問の給付奨学金があることは知っています。何と今年,採用してもらったからです。
何だよそれでいいじゃねーかと思われるかもしれませんが,「卒業」までとなっており,私が修士に行こうと博士に行こうと,今年度で学部の卒業を迎えてしまうという大問題があります。
これはどなたかも書いていましたが,奨学金応募ってこれはこれでそこそこ時間を持っていかれるもので,その分他の人に比べて学業に使える時間が減って不利な感じがあります。
まず,経済状況不問の給付奨学金が猛烈に少ない。
一般的に理系とされる方はあまり気になったことが無いかもしれませんが,文系修士への経済状況不問の給付奨学金は,一周回って涙も引っ込むほどの量しかありません。当然,倍率も上がるので簡単には通りません。1回も就活したことないのにお祈りメールの話題についていけるようになります。しかも大体合格が決まったり年度が変わったりした後の時期の募集のため,もうギャンブルです。
仮に文系対象の奨学金があったとしても,よりによって臨床心理学はかなり評価されにくい分野だと思います。大学院の中でもまあまあ忙しい割に,その時間を割いた分が研究業績に反映されにくいからです。
臨床心理学の修士は,一定数がいわゆるカウンセラーになるべく進学してくるので,実習にめちゃくちゃなキャパを取られます。少なくとも東大は,M1のうちは授業と実習で忙殺され,研究に手を出せるのがM2というカリキュラムになっています。
稼げる研究と稼げない研究があっては良くないと思うのですが,元々臨床心理学があまり潤っている分野では無いのと,単純に考えて,他の修士の人々が研究に精を出す2年のうち一定割合が臨床に割かれたら研究能力はそりゃ,と思います。業績が求められる土俵で他人と戦うには圧倒的不利です。
かと言って修士の先輩方の話を聞いていると,忙しさ的に,ここに進んで全てバイトで学費生活費を賄うのも無理だと思いました。
先生方とお話ししていると,「研究者になるなら卒論を論文化するなどして業績積んでおいた方が学振で有利」というアドバイスをいただくのですが,それ以前の修士を生き延びることを誰も考えていない…………!!
資格を取るのに6年かかるものの中でも,医歯薬獣と違って学部4年+(修士で再受験)+修士2年という大変分かりにくい制度のせいで外部の人たちに状況が理解されにくいというのもあります。
この間,知り合いの精神科医に「心理士って修士行かなきゃいけないの!?」と言われ,心理士と共に精神科臨床に関わってきたはずの人間でさえこれなのに,どこかの財団の奨学金担当者に理解を求めるのは不可能に近いと悟りました。
あとは,大抵の奨学金が標準修業年限での卒業・修了を求めている点に課題があります。
大学は休学の事由として経済的理由を認めているのに,休学した途端応募/受給資格がなくなる奨学金の何と多いことか。休学して働いて体制を整えつつ奨学金などの準備をして復学するルートを考えたことがあるのですが,休学すると途端に余計ハードモードになるトラップに気づいて回避しました。
(余談:たまにある奨学金の「心身ともに健康」の条件ですが,いくら奨学金を出す組織の任意の事業とはいえ,あれほど排他的なことを正々堂々と書けるのむしろすごいな〜と思います。百歩譲って標準修業年限卒業の制限かけたら,それを守れる人ってWHOの定義する健康に当てはまりそうじゃないですか?)
博士は国や大学からの支援が段々と整備されてきているものの,そこにたどり着くまでの修士が修羅の道すぎて心が折れそうですね〜。
最後に
今までさまざまな文脈で小出しにしていたことを,せっかくなのでまとめました。
これを書く直接のきっかけとなった学費の値上げについては,私1人の状況から,純粋に困るので反対します。
ただ一方で高等教育全体のことを考えた上で賛否の意見表明ができるほどこの件に関して知識がないことは自覚していますので,その点については今はどちらの立場も表明しません。これが,今までの各種の活動に加わったり,SNSで意見を大量に述べたりしてこなかった主な理由です。少し教育学に身を置いていた時期があったため,教育のことについては学問として真摯でありたいと思う気持ちがあります。
しかし,個人的にただでさえ色々と詰んでいる状況で学費を値上げされるのは嫌なので,学費値上げは少なくとも私がめちゃくちゃ困るんですけど,ということだけ声を大にして主張しておきます。
n=1が量的データとしていかに弱いかは,知っているつもりです。ただ,量的研究というのは,母集団を広げて一般化可能性を高めようとする分,多様性を見逃すような気もします。
実際に東京大学に通う学生の,少なくとも1人はこういう状況の人がいるよ,ということを気に留めてもらえたらいいな,と思ってこれを書きました。
私は差別や偏見のようなことに興味を持って学んでいることもあり,1人の人間全体からしたらほんの一部でしかない情報だけでその人の特徴が決めつけられてしまう場面を嫌というほど見てきました。これだけで「可哀想な人」「しょーもないことに必死な人」「だめな人」などと思われるのはこれを書いた意図に反するので,ここまで読んでくださった人には言うまでもないかもしれませんが,あんまりそういう目で見ないでもらえると助かります。
何やかんや書いたけど結局私は他の選択肢が与えられたとしても研究の道を選ぶだろうと思うくらい学問が積極的に好きだし,今までもこれからも,良くも悪くも私は変わらずずっとこんな感じの学生の予定なので,これからもよろしくお願いします。