ネコーヒー:ストレート #20杯目
猫を“飼う”のであれば屋内に暮らしてもらうのが結論だろう。しかし一切の野良猫を認めないというのは正解ではないのではないだろうか。
なぜこんなことを言うのかというと、今日は素敵な猫に路上で出会ったのだ。
とある寺院の山門の前、茶トラとして理想的な模様の猫と出会った。首輪はしておらず、少し痩せている。しかし私が視認した時はおそらくこの近所の住民とおぼしき人間と何やら内緒話をしていた。
車両の通行は猫にとって危険であるし、また猫が民家の庭を荒らすこともある。しかしここいらには猫が隠れることができる緑や物陰があって、彼自身にも人間を警戒する様子はみられない。もしかしたら彼はここでは経蔵の守護者として認められているのかもしれない。
エゴの極みかもしれないが、それでも街角で猫と「ふと」出会うことができる世であってほしい。猫の足音を聴けるような時間と共に。
今日の英語:Freedom