安易より危険なものは無し

 私は特にこれといった恐怖症はない。都市部に住む人間にしては無脊椎動物にも免疫がある。閉所も暗所も抵抗はない。ただ唯一自覚しているのは高所だ。
 しかしこれも恐怖症にカテゴライズしていいものか分からないくらいに中途半端なもの。飛行機も高層建築も抵抗がない私が苦手な高所は “足元に何もない”場所だ。橋や展望台など空中に突き出すことを前提とした構造物ならいいのだが、渡り廊下や吹き抜けの上層階となると急に恐怖に襲われる。ただの部屋のように見えるけど実は床下は空洞であると認識してしまうと途端に嫌な汗をかいしまう。

 それでも身動きがとれなくなるほどではないが、先日の旅行でまた別種の高所による汗をかいた。
 それは海岸近くの公園で、良い景色を撮ろうと私は堤防の上に立った。それは歩道側からは80cmほどの高さの堤防だったのだが、その向こう側は地面まで5m。私は突如無防備に崖っぷちに立ってしまったのだ。

 さあそれを自覚した瞬間汗が吹き出した。眼下は岩だらけ、大した高さではないが落ちたら死ぬ。迅速に歩道側へ降りなければならないが体が思うように動かない。焦ってバランスを崩せば死ぬ。とにかく倒れないようしゃがめ、そして移動しろゆっくりとだ。そうして私はずり下がり歩道へ降り立った。堤防の上にいたのは正味5分も無かったかもしれないが、生きた心地がしなかったとはこのことだった。
 まあ恐怖症というより危険を危険として認識しただけかもしれない。身を乗り出す前にまずよく見てからという基本的すぎる教訓をこの歳にしてやっと身に付けた日だった。


今日の英語:Acrophobia

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