心の中の丸い足跡
その事実は、記憶の地層の中の、暖かい化石。
今日はシフトが昼までだったので、職場の近くで中華料理を食べた後、まっすぐ帰らず寄り道をした。手ぬぐいマスクの材料を買い足すため、定期券の外側にある商店街に向かった。
駅前は再開発という名の改悪によって抉られていたが、メインストリートであるアーケード内部は変わりはなかった。だが人出も営業している店もかつての6割。対向で歩いてくる人を避けることも無く、下ろされたシャッターには貼り紙がされている。
目当ての物資を購入して、最後の目的地であるアーケード端の寿司屋に向かう。その店の前では猫が暮らしているのだ。
寿司屋と猫、完璧な組み合わせだ。タイミングが合わずその店で食事をしたことはないが、看板の後ろにしつらえられた寝床でくつろぐ彼女には何度も何度も挨拶をしグルーミングさせていただいたことがある。物憂げに首を伸ばしながら鳴らしていた優雅な喉の音はよく覚えている。
しかしその寿司屋に近づくにつれ不安が強烈に高まった。猫の寿命。去年今年、我が家の猫は立て続けに旅立った。最後に会った彼女も決して若くは無かった。もし店の前が空っぽだったら。別に私の生活に何か関わっている訳ではない。でももし店の前が空っぽだったら。
遠回りして店の前を避けてしまいたい衝動を押し退けてたどり着いた商店街の端。寿司屋は無かった。もう寿司屋ではなく別の店が営業していた。
寂しいのと、僅かにほっとした。きっと彼女は店主と一緒に引っ越したのだろうと勝手に想像できるから。
店の中に入ったことの無い私が閉店云々を言う権利はない。今や猫の屋外飼いは推奨されない。それでも、猫が空の下を歩くことが一切許されない土地は不健康ではないか。
いつかまた彼女に出会えることを願って。新陳代謝する商店街は明日も続く。
今日の英語:Shopping street