凡慮、今更賢哲の憧憬に点火する

 釣りをしたい、という欲がある。
 学生の頃よく読んでいた作家が釣り好きで、その影響で漠然とした釣りへの憧れが昔からあった。それは遠い憧憬のまま行動に移されることはなかったのだが、私の適当な自転車での散策が一気に憧憬に現実味が入り込んだ。
 作家の釣りに対する真摯な態度が影響したのだと思うが、私は釣りとは「釣れそうな場所でするもの」と考えていた。清流なり湖水なり、自然の中でそれなりの装備をして時間をかけてするものだという思い込みがあった。しかし自転車で散策していると、県境の河川敷や中小の工場がひしめく地帯の真横の河口、そういう場所でも当然の風情で釣り人が竿を構えているのだ。
 そういう場所まで私の自転車で苦もなく行けてしまうこと。そして、ヒョウモントカゲモドキのために養殖し大繁殖しているミルワーム、これを釣り餌に使えるのではないかと。
 しかし私はアジを三枚におろせても、釣りは小説とエッセイで読んだだけ。イモムシを素手で掴めても釣り道具は持っていない。
 今はネットでいくらでも情報を集められるし道具も買うことが出来る。しかし素人がひとりでネット頼りで始めても良いものか……。だが自分と釣竿だけで水面に向かうあの禅にも似た自己冷却をしたい気持ちも消せないでいる。だがこう書いている時点で決まっているのだ。
 いつ始めたものか。


今日の英語:Stagger

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