脊椎動物ブレイクタイム
主観でもなく客観でもなく。誰かの俯瞰であるように。
私は猫についての日記を書く時は、殊更フラットな文章になるよう気を付けている。信念というほどでもないが、思い付くままに猫について語ってしまうととんでもなく煮崩れた文章になってしまう。もし私が我が家の猫に対する呼び掛けをそのまま文字にしてしまったら「テトたん」だの「マユマユ」だの、「よく食いにゃんにゃんめ!」だの「この悪にゃんにゃんが!」だの、「ご飯の前におねいちゃん着替えさしてください」だの「いーからカリッとしたのを食べるのにゃ」だの、……思い出そうとすると羞恥で脳がフリーズする。とにかくそのまま日常を持ち出すのではなくある程度蒸留をしないと、日記という「記録」の体を成さなくなってしまう。
こんな感じに
一方、爬虫類の名前に「さん」の敬称をつけるのにも一応の意味がある。
ワニの脳、生きるための記憶。哺乳類とは異なる原始の意識を剥き出しにして生きるもの。そうした生物に対する敬意から「さん」付けになる。あと単純に、エリザベスをリジーと呼んだりベスと呼んだり、名前から略称を取るということに憧れていたというのもある。
ただかつて人間は、ケツァルコアトルやヨルムガンドやクールマのように、世界の巨大な存在として爬虫類を解釈した。やはりそこには意思の疎通をかなわなくても爬虫類に遠大なものを感じることがあったのではないだろうか。あわよくばスーさんとリンさんがウロボロスの叡知を私に授けてくれないだろうか。
糧を得るためではなく生命を感じるため。業の深い娯楽に日々記録を紡いでいる。
今日の英語:Karma