マッキー音楽歴〜大学・その後
※Facebookからの移植。投稿日:2016年10月10日
ピーストーク世話人のKさんと幼馴染のY、ボーカルのAらとバンドを組む。 メーデーや赤旗まつりなどのステージに立つ。
三鷹楽器でVanzandtのストラトキャスターをフルオーダー。スティーヴィ・レイ・ヴォーンと全く同じ仕様。
2001年9月11日、同時多発テロ事件が起こる。僕はこの時、家で制作中だったが、テレビ画面に釘付けになり持っていた筆を落とした。
アフガニスタンとイラクで戦争が始まり、各地で反戦デモが活発に行われる。仲間たちと車にスピーカーやアンプ、ドラムなどの機材を積み込んでサウンドデモを展開する。今では普通だが、当時としては新しい試みだった。
…Laterfineが解散、3人編成のアルカッフェが活動を開始する。さらにパーカッションが抜けたあと、時々ギターでゲスト参加するようになる。
たしか、このあたりでミポリンと知り合うが、初対面の時の僕は目も合わせなかったらしい(笑)
2003年、ムサ美を卒業。就職せずにフリーターとなる。
歌楽歌人のアルバム制作のため、吉祥寺GOK SOUNDにてレコーディングを行う。しかし、メンバーのSが就職し忙しくなったため、なかなかライブ活動ができなくなる。
アルバム発売と共に、3人での活動はほぼ停止。Yと2人での活動が多くなる。
2004年12月、小金井公会堂で開催された「げんこつ祭り」にて、最初で最後の高田渡さんを観る。
2005年、池袋「伽羅舎」にて初の個展を開く。毎日、誰かしらのライブを開催するという無茶なことをやる(笑) ここで人生初のソロライブをやる。
たしか、ミポ☆マッキーもこの時が初のライブだった。
正確には思い出せないが、この頃はバンドやサポートなど相当な数の掛け持ちをしていたと思う。自転車でエレキギター、アコギ、三線、小型アンプを持ってイベントに行き、ほぼ出ずっぱりだったこともある(笑)
この頃ハマっていたジャック・ジョンソンの影響で、コール・クラークのエレアコを買う。
幼馴染のYとイベントの開催中にケンカをする。これ以降、彼と一緒にイベント等の活動をする事が無くなる。
「武蔵野Jam INN」という、スタジオでジャムセッションをするマンスリーイベントを始める。
公園でシートを広げて飲みながらざっくばらんに演奏を楽しむイベント「アコースティック・ピクニック」を始める。
こういうイベントをやるようになったのは、幼馴染のYやその仲間たちと離れてひとりぼっちになったから仲間を作りたいというのが元々の動機だった。
このイベントを通じて、今でも付き合いのある多くの仲間たちと出逢う。
弁才天&Ja Liv Bandというレゲエバンドに参加する。2006年、あきる野のキャンプ場で開催された「ヌートリアン祭り」に出演。花&フェノミナン、マーガレットズロース、トゥクトゥクスキップ、アナコンダ、ハウスオブグリーン、中ムラサトコらと共演。
同じ頃にピーストークのときのマイノリティ仲間Kと「ねぎ一発」というふざけたデュオを結成。渋谷アピアを本拠地に活動。Kに発声の基礎的なことを教わり、歌うことが少し楽しくなる。
この頃に三鷹の実家を離れて、荻窪に住み始める。南口のアルカフェに出入りして、オープンマイクで歌うようになる。
どこで区切っていいのかわからないので、つづく(笑)