「わたしたちの願い」
※Facebookからの移植。投稿日:2014年2月21日
たとえば,あなたのクラスに34人の生徒がいるとします。
その中の33人が,あることを賛成したとします。
よく考えて賛成というひともいるし,あまり考えずに「みんながそうなら、そうしよう」と、まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。
クラスは、あなたひとりを除いて,「賛成」の意見でまとまりそうです。
けれど,あなた自身は,どうしても賛成できません。そのとき、あなたはどうするでしょう。
たったひとりで、33人を前に「反対」といえるでしょうか。
「いえない」とあなたが思うなら,それはなぜでしょう。
みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?孤立するから?
みんなに合わせておいたほうが、らくだから?ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか「目立ちたがり」とか「生意気」とかいわれそうだから?
そして,仲間外れやいじめにあいそうな気がするから? 理由はたぶんいろいろだと思います。
しかし,反対なのに,反対である自分を消して,まわりに合わせた自分を,あなたはいつか「いやだな」と思うようになりませんか?
そうして,いつも,まわりに合わせてしまうことがあなたのくせになって,ずっとそんなふうに生きていくことになったら、あなたは自分を好きでいられるでしょうか。
みんなの意見に無理に自分を合わせることに必死だった11歳のある子は。ある日、いいました。
「ずっと、ずっと、消しゴムでゴシゴシ自分を消しているみたいだった。そんなのいやだと思いながら,ゴシゴシ消していた。そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。
わたしは、日本という国がひとつになって,原子力発電に賛成する人たちがどんどん多くなっていくときにも,反対をしてきたひとりです。
「たいへんだったでしょう」と、よくいわれます。 けれど、わたしは、そうは思いません。
自分に対して誠実に生きることはとても気持ちのよいものです。自分にウソをつくことのほうが、わたしにはたいへんなことであり、いやなことであるからです。
少なくとも私は,自分の考えを裏切らずに済みましたので,ありがたい人生だと思います。
しかし,十分に原発の危険性を伝えることができず,今回の事故が起きてしまったのは,とてもくやしい思いがします。
原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に直接かかわることなのですから,しっかりと学んでください。
私はやがてはいなくなります。あなたよりずっと年上なのですから。
そのときに、自分で考えて,ひとりでも行動できる,そういうひとになってほしいと願います。
そして思ったことをひとに伝えて、みんなで話し合いながら未来を考え,決めていくような社会が来ることをこころから願います。
起きてしまった原発の事故を起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど,現在と未来をつくることができるのは,一人ひとりの「あなた」です。
元 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
※学生を前にした講演での話。
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