素朴に隠された匠の仕事
木目の丸いお椀から湯気がほんのり揺らぎたつ。
お椀を口元に引き寄せると、すぅーっとお味噌とダシの香りが頭の上にかけ昇っていく。
間違いなく美味しいものだという予感を感じさせる香りだ。
一口含むと柔らかい旨味が喉から体中に温かみと共に広がっていく。
続けてお箸を俵型になったご飯へ。
ご飯には枝豆とひじきがまぶしてあり、表面には細かく刻まれた小梅がちらされてる。
俵を半分にしようとお箸でつまむと予想外に柔らかく、ほろりと割れた。
口に放り込むと中でさらにほろりとほぐれる。
決して米が柔らかく炊かれているのではない。むしろシャリが立っているぐらいなのだが、お寿司やお握りと同じ原理なのだろう。見えない職人の仕事が感じられて嬉しい。
ご飯の甘みがほんのり、ひじきの甘みがほんのり、時折枝豆の塩気がほんのり、時折小梅の酸味が嬉しい、そしてご飯とひじきと枝豆の食感が交互にあわさり、そこに小梅がカリッとくる。とても美味しい。
これにさらに美味しさが加わったのは、温かいお味噌汁をすすった瞬間だった。さらりが加わったのだ。何とも言えない贅沢な味わいの連続に感動だったが喜びは終わりではなかった。
煮物が待っていた。椎茸、えんどう、あげ、こんにゃく、カボチャだ。旨い煮物は見た目の色艶で何となく分かる気がする。柔らかさや味のバランス、味のしみわたり具合と全てがバランス良い煮物はいい顔をしている。
ひとつ、またひとつ、口の中で出会いとせつない別れを繰り返していく。最後に残った椎茸をご飯とめぐりあわせてない事に少しの後悔。最後で良かったのだろうか。
しかしながら、この最後が際立っていた。
だし汁をたっぷり吸った椎茸は何とも言い難い見事な味わいをご飯に加えてくれた。
随所に施されたさりげない匠の仕事、存分に味わった瞬間、あぁ日本の心はこれだなぁと思ったのでした。
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