この間の授業(授業に追われている件について)

こんばんは、さくです。

更新が滞っています。
授業に追われて、
noteから自分が離れていってしまう感覚があり、
情けないと思うこの頃です。

階上では、大学生が集まって大騒ぎ?
(大騒ぎは言い過ぎです。ごめんなさい。)している、
深夜2時です。 

ちょっとイラッとしてしまいます。
でも、このイライラには、
そうやってちょっと集まって騒ぐみたいなのが
大学生らしくて、いいなあと思ってしまう羨ましさ
が含まれています。


(私は、汚い人間だ、そう思います。

 自分は羨ましいと思いながら、
 騒いでいることは良くないとイライラすることで
 自分を正当化しようとしているんだから。

 騒ぐのが羨ましいと思う時点で、
 もうイライラすることは許されない
 ような気がします。

 ひねくれてますかね。笑)

自分を正当化という話をしましたが、
今日は先日授業で聞いた、

自分を信じて疑わないこと

について少しだけ書こうと思います。

先日の大学の授業で、

文学を読み、批評するとはどういうことか


教えていただきました。

批評と批判は違う

とも。

批判するのは、相手の考えを否定すること、
批評するのは、
自分の立っているところを見つめて、崩して、
再構成すること、
なんだそう。

さっき言った、

自分を信じて疑わないこと

それを他人に表明することは相手の批判につながる。
自分を信じて疑わない人が声を大にして意見を言えば、
それがポピュリズムにつながる。


ハッとさせられました。



ほとんど本を読まなくなって、

バイトでは、
自分の正しさを大声で叫ぶ人が
上に立っていて、
それがいいんだなと
私もそういう態度になってしまっていて

自分を信じて疑わないことに
私が陥ってしまっていたな
と思いました。


もっと自分の間違いに気が付かなきゃいけない
自分とは違う感覚を持っている人が
大勢(少数でも)いることを
心に留めておかないといけない
そう考え直しました。


本読まなくちゃな。
無関心を決め込むんじゃなくて、
批評していかなきゃな。

そう思うことのできた授業でした。
まずは、授業で本を読むことから始めようと思います。


冒頭でいった、夜中に騒ぐ大学生にも、正義や苦しみは存在しているのです。

そんなことが常に想像できるようになりたいものです。


それでは。


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