社会人お笑いを始めた理由(今更?)
【10/25 自分の文章が拙くて誤解を招きかねない部分があったので一部加筆修正しました。とはいうものの今の文章が完璧かというと非常に怪しいです。誰かを貶めたりする意図は全く無いです】
舞台に初めて立ち、社会人お笑いをスタートしてから今年の7月で2年が経ちました。初心に帰るという意味でお笑いを始めた理由を書いていこうと思います。今更かよって気はしますが。
社会人お笑いを始めた理由
思い立ったのは4年前。2020年の冬でした。既に社会人だったわけですが、なぜ急にお笑いを始めたいと思ったのかというと、創作活動がしたかったからです。
非常にダサいというか背伸びしている感じが伝わってイタいんですが、事実なので仕方ないです。芸術への憧れといえばいいんでしょうか。自分に大きな才能があるとは思っていませんが、当時も今も何かを創ることへの関心は変わっていません。
この情報だけだと、社会人になって唐突に創作意欲が湧いてきたのか?と思われるかもしれません。実際はそうではなく、昔から思いはありました。中学生の時にバンドの生演奏を初めて聞いて、こういうのやってみたいなぁと思い始めたのが最初だった気がします。色んな創作活動があるわけですが、中学の経験から出来れば音楽をやりたいと思っていました(他への関心もあるにはあった)。ただ、学生の頃は気持ちだけで行動が伴いませんでした。一歩踏み出せず軽音サークルには入りませんでした。ギターを買って練習していた時期もありましたが、コードの切り替えで挫折しました。DTMも2日で辞めてしまいました。音楽以外も特に何もやってなかったです。
そんなこんなで学生時代に秘めていた思いは埋もれていきました。それが社会人になって再び強まったのは何故かというと、働き始めるにつれて感じた閉塞感でした。「このまま何十年も働くってマ!?」と思い始め、仕事だけだと人生つまんなそうだなと思ったんです。保身のために言っとくと職場批判ではなく、もう少し根源的な問題だと思っています(つまり何処で働いていたとしても遅かれ早かれ悩んでいたと思う)。価値観が大きく変わりつつある現在において「働くって何だ?」という問いかけが自分にあったのかもしれません。
新型コロナによるどんよりしたムードもあり、新しい趣味を作って仕事から離れる時間を作らなきゃと思いました。そこで創作意欲を満たせる何かがないかなと思い、お笑いをやってみたいなと思うようになりました。
さっきまで音楽の話をしていたのにって感じですが、自分のセンスだったり楽器の練習場所を考慮して音楽は見送りました。自分に出来そうなものを吟味したらお笑いになったというのが正直なところです。子供の頃からお笑いがめちゃくちゃ好きで…みたいなエピソードは無いのでとても失礼なのは自覚していますし、今でも申し訳なく思っています。ただ、昔からイジられキャラで人を笑わせるのが好きだったし、目立ちたがりで話好きだったのでシックリきた感じはあったんですよね。それと、始める敷居が低そうだなという思いのもありました。かなり舐めた動機で始めたわけですが、実際始めてみると鼻っ柱折られてすごく反省しました…
それと、色々悩んでいた時に、偶然M-1 2020の敗者復活戦をYouTubeで見て感化されたところが非常に大きいです。漫才かっこいい〜って思いました。コウテイ、カベポスター、キュウが凄く印象に残っています。
お笑いをやりたいなと思った時にプロになるというのは正直全くイメージが掴めなかったので養成所に入ったりフリーで活動する(そもそもフリーという概念を当時知らなかった)ことは頭に無かったです。趣味としてできないかな?という思いがあったのですが、社会人お笑いが普及し始めるタイミングと重なっていたので、そのあたりはラッキーでした。
話が飛び飛びで申し訳ありませんが、まとめると以下の流れです。
・昔から創作意欲があったが、学生時代は形に至らずだった
・働いた際の悩みを通じて、改めて何かやりたいなと思い始めた
・色々ある中で吟味してお笑いをやってみることにした
以上の経緯からわかるように、自分はお笑いに詳しいという訳ではありません。関西出身ですが子供の時に新喜劇は見たこと無かったし(社会人になってから観て凄く感動しました)、M-1の2018と2019は当時テレビが無くて全く見ていないし、劇場という存在もお笑いを始めるまで知りませんでした。無知な状態で始めてしまって本当に申し訳なかったんですが、その分色んなコンテンツに触れたときの驚きは強いし、とても楽しいです。今も日々勉強中です。
余談1 なぜ初舞台まで時間がかかったのか
ところで先ほど触れたとおり、お笑いを志したのは2020年の冬です。初舞台が2022年の7月なので、実行に移すまで1年半ほどかかっています。一体なぜなのか。そのあたりもせっかくなので時系列順に触れていきます。
ライブに出るまで時間がかかったのは仕事を言い訳にして何も活動していなかったのと、相方が見つからなかったからです。1つ目はまぁ仕方ないとして2つ目は難儀しました。
今でこそピンでライブに出ていますが、当時はピンでやる発想はなく、漫才をやりたいという意思で相方を探していました。今思うと色々やりかたはあったと思うんですよね。まず社会人向けのライブを探して見に行くとか。ライブにピンで出て演者の方と交流を深めるとか…当時はわらリーマンやペチカの存在を全く知りませんでした。
当時活用していたのが相方募集掲示板でした。自分と同じような人が結構いましたが、連絡が途切れる、当日会う予定でブッチされるなど上手くいきませんでした。
これとほぼ同時期に掲示板経由で社会人お笑いサークル「funny」を立ち上げることを知り、加入することにしました。同じ境遇の人たちが集まって実際にメンバーに会ったのが確か2021年の3月です。今とは違って当時のfunnyはライブ出演経験者がごく僅かでした。手探り感が凄かったです。
funnyを有効に活用してコンビを組んだり、ライブに出れたりできれば良かったんですがコロナ禍が悪化して活動が縮小し、そこまでには至りませんでした。この時期はたまに数人で集まってご飯に行くだけの謎サークルでした。仕事もやらなきゃだったのでお笑いのことは頭から離れていき、気が付けば2022年になっていました。
年明けに代表の人と話して、サークルがこのままだと自然消滅しちゃうから人集めを再開しようとなりました。その担当を自分がやることとなり、掲示板経由で人集めをしました(なぜXとか使わなかったんだろ…)。
この時に知り合って、funnyに入ってくれたのがテガシンスト川崎さんやいわしたでした。
で、メンバーも増えてきてコロナも収まってきたので、6月くらいに即席コンビでネタ見せをすることにしました。自分はいわしたと組んで1ネタやりました。それと川崎さんとかしわぺたがコントをやっていたんですが、凄い面白いなぁって感じた記憶があります。
ネタ見せの後、かしわぺたが1か月後のKOCにコンビを組んで出たいと言ってました。ネタ見せのコントが印象に残っており、組んでみたいなと思って声をかけ「理科室のアンドローラ」を結成しました。
で、2022年7月にKOC1回戦に臨みました。凄く緊張したのを覚えてます。
組んで間もなかったこと、諸々の事情(特に俺の髪色)もあり、KOC自体は1回戦敗退でしたが、あそこでチャレンジしてなかったらズルズルお笑いをやらないままだったかもしれません。
その後、テガシンストやハニカムウェアーズを結成して本格的に社会人お笑いの活動がスタートしました。
余談2 実際始めてどうだったか
始めて良かったと思います。ネタを作るのは楽しいし、沢山の方と知り合えました。とても価値のあることだと思っています。中々物事が続かない自分が2年も続けれたのは驚きです。
一方で、今後の身の振り方をどうしたら良いかを少し考えたりもします。自分が始めた2022年と今とでは大分状況が変わってきたからです(知り合いが増えてきて見える景色が広がったからというのもあると思いますが)。
まずfunnyがここまで大きくなるとは思わなかったです。それと、主催ライブが増えてそのバリエーションも増えてきたと思います。ライブが増える(供給が増える)中で、社会人お笑いの裾野(需要の部分)をどうやって広げていけばいいか、少し考えたりもします。お前みたいな何の結果も残してない野郎がと思うかもしれませんが。
競技人口もおそらく増えてるんじゃないでしょうか。各コミュニティ同士の融和もあって、ユニットも急増してると思います。
以上を踏まえて、主催やネタの方向性を色々考えてるのですが、それは別でまとめます。
あとは年齢的な問題があって、自分の年齢は社会人芸人の中央値くらいだと思います。同年代は結婚だったり出産だったりと人生のフェーズが変わっていく人も多いです。実際に大学の同期はどんどん結婚していってます。そのあたりも含めてどうするかですね。
あとは趣味としてお笑いやることの可能性…についてとか。
色々書きましたが、思ったより長くなってしまいました。また気が向いたら投稿します。
ではでは。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?