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自分探しの旅とは徳川埋蔵金探しのようなものである

先日、自費出版社主催で著者やこれから出版予定の人たちの交流会をするとのことで依頼があったので参加してきた。
東京や横浜、浜松からも参加されていてその多くが30代の若者だった。
主催者の挨拶が始まり、参加者の自己紹介になり順番に話を聞いていると、やはり著者かこれから書き始める人たちの集まりなので、それなりに自分の意見をしっかり持たれている人達だ。
これから世界一周の旅に行く予定の人や、4年間かけて世界110各国の旅に行ってきた人もいた。
また、両親から許可を得られないが、初海外旅行はタイへ行きたいという女性もいた。
4月に「誰もが世界に出られる時代。若者よ旅に出よう世界を見よう」というタイトルの本の出版が決まっていて近々世界1周の旅に行くと言う著者が僕の座っているテーブルにいたので、詳しく話を聞いてみた。
彼は小学生の頃から世界を旅することが夢でやっと叶えられると希望に溢れていた。
前回、キューバに行こうとして安いチケットを探してニューヨークまで行ったが、観光ビザではアメリカからキューバに入国できないことがわかり断念、今回はメキシコ経由で念願のキューバに行くと言う。
彼は以前に行ったインドのワラナシ(旧ベナレス)に行ってガンジス川のほとりの死体を焼く現場に行った時、「人生好きなことをして行こう!」と思った。
「好きなことをすると言うより嫌いなことをするのをまずやめる」と決めたそうだ。
さらに、
「自分は旅が好きだと思っていたが、よくよく考えてみると旅が好きなのではなくて、一人で旅をすると自分を見つめる時間を持てる事が好きなんだ」
彼の旅の目的は、「自分の好きなことを見つけること」だそうだ。
今回の旅では彼は何を見つけられるのだろうか?

4年間世界を旅をした別の著者に、「一番印象に残っている国はどこか?」と聞いてみると
「アフリカの国々ですね」
「外国人が誰ひとりいませんでした」
「日本は中国の中にあると思われていました」

僕も22歳の時にインドに1ヶ月行った話をした。
何と彼はインドに行った時、カルカッタで中古のバイクを100ドルぐらいで買って、そのバイクで3〜4ヶ月かけてぐるーっと北インドまで行ったそうだ。
今はスマホやSNSで現地情報を取得しやすく楽な旅をする人が多いけど、現地で情報をとっていた時代のような旅をしてみたいと言っていた。
彼らとは年齢も大きく離れているが「やっぱり旅は滞在2週間を過ぎた頃から楽しさが増すね。」と意気投合した。

彼らもまた、旅から帰ってきて起業するなど旅へ行くことはかなり人生における影響が高いと思われる。
ここで言う旅とはツアーで行くスタイルではなく、エアーチケットなど自己手配の一人旅もしくはバックパッカーと言われるスタイルだ。

僕が大学生の頃から「自分探しの旅」へ行く人が結構いた。
それでは、旅に行けば自分探しあるいは人生に影響を与える事ができるのであろうか?

自分探しの旅とは徳川埋蔵金探しのようなものである。

一昔前TVで徳川埋蔵金探しの番組がよく特集されていたのをご覧になったこともあると思う。
僕はその頃まだ若かったこともあるが、最後まで夢中で見てしまった事を覚えている。
徳川家の埋蔵金を探すために時間とお金をかけている人がいる。
色んな角度から探して行き、地図が出てくるとその場所を特定し、土を掘っていく。
土の中から炭が大量に出てきて、これはなにかの印だと言って胸を躍らせ、さらに掘り進めていく。
結局、最後は期待をもたせながら宝の埋蔵金は見つからず次回へ続くとなる番組構成だ。

僕の旅は22歳の時、初めての海外旅行がスリランカに2週間、その後インドへ1ヶ月とバックパッカーな貧乏旅行だった。
その頃はスマホやSNSもなく、あるのは「地球の歩き方」そして旅行会社の方の情報のみ。
あるのは往復のエアーチケットとわずかな旅行費用のみ。
現地に飛行機が降りると窓から今まで見たこともない景色。
日本人なんかどこにもいない。空気が違うし、言葉も違う。
今日は、どこへ行きどこの宿で泊まろうか?
地球の歩き方の僅かな情報をもとに、とにかく現地の人に聞いたり教えてもらうことしか方法は無い。

こんな具合に僕たちは旅をしてきた。
真夜中に着いたエアポートからとにかくタクシーに乗って、運転手さんに片言英語で近くのホテルまで行ってという。5分ぐらいで小さなホテルに到着、10ドルを請求された。
今から考えるとかなり高額だったと思う。英語もろくにしゃべれない、旅人としては全くの初心者だった僕たちは、そんな失敗の経験の繰り返しで、多くのことを学んできた。

コロンボから北東の海岸の街トリンコマリーに行ってみようと決め、バス停まで初めて乗る三輪バイクのツクツクの運転手さんに連れて行ってもらう。バス停でトリンコマリー行きのバスを探すがわからないので、人に教えてもらい乗ることができた。かなりボロボロのバス、外国人は僕たちだけ、人がいっぱい乗って来てギュウギュウ詰めで出発。なんと8時間もかかる。
当時、舗装もされていない道を延々とジャングルの中をゾウに注意という標識を見ながら走る。
苦労して着いた小さな街では、初めて見る青いインド洋とゴミひとつ無いきれいな砂浜に感動をした。
インドでは、ヒンズー教の総本山が集まる聖地と言われるベナレス(現ワラナシ)で、生と死が一体となった聖なるガンジス川での光景に驚いた。
道端で飲むチャイ屋さんでは素焼きのカップでチャイを飲んだあとは、土に返せと地面に捨てる。
また、トイレでは紙を使わず水で流す。
牛は神様なので道を自由に歩いても誰も文句を言わない。
蚊も殺さない自然と共存しているヒンズー教の教えなどを体験してきた。

求めているものは、どこまで行けばいいのだろう。
どれが正解なのか?正解などは無く、成り行きに任せるしか無い。
現地の人々との会話から人とのコミュニケーションが深まり、より旅のよろこびが深まると言うこともできる。
気がつくと人とのコミュニケーションを積極的に取れば取るほど、素の自分で接している。
その素の自分に気づくことこそ、旅の目的に近づけるのでは無いだろうか?
まるで徳川の埋蔵金探しのように
旅の楽しさにハマればハマるほど、もっと楽しいことが待っていると深みにハマるのである。

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