誰がために輝くポラリス
無数に輝く星々の中で、たったひとつのとくべつを見つけることは容易ではない。
初めてその輝きに気づいた時、これは探し求めて見つけたものではないと気づいた。
光が目に飛び込んできて、私の行く末を指し示す……まるで北極星のようなひと。
あなたが笑えば私もたのしくて、あなたが表現をするなら私はいつだって魅了される。
くびったけになったらもう手遅れで、これ以外の目印はもうない。
それでもあなたが光るなら、私はそれに向かって進む。
誰がためでもない輝きを求めて。
◇◆◇
「推し活」という表現が大衆化されつつある。オタクでない層にも言葉自体は普及し、メディアでも取り上げられるようになった。
「応援する」という「オタク行為」が名前のあるものになり、一般的には異常かもしれない行為もそこまで異常とはされなくなってきている気がする。
自分自身が行っている「推し活」というのは、「相手のため」を名目とした「自分が満たされるためにやる行為」だと認識している。 対象のそのひとは俳優なので、オタク行為のメインは現場に足を運ぶことである。
「応援」というのは体のいいことばで、一方的に送っていることばが、独りよがりで気持ち悪いものではないと証明する免罪符足りうることばだと思う。
そのひとを応援してるつもりではあるけれど、実際は私が楽しんでコンテンツとして搾取しているだけだともずっと思っている。
私は地方住みなのだが、基本的にイベントや出演舞台の大半が東京での開催のため、割と頻繁に東京まで通っている。
たまに何のために東京に何度も行くのか考えてしまうこともあるが、私が会いたいから会いに行っているに過ぎなくて、他に理由なんてない。
認知も見返りも何一つ必要としていない。今の私はそのひとでしか息ができないから、行くしかない、ただそれだけだ。
私の生きる希望、支え、頑張る理由。まるで救済のような光を求めて……と言うと少し宗教っぽいけれど、まあ推し活というのは一種の信仰みたいなものだと思っている。
光は私だけに在るものじゃなくて、そこでただ光っているだけだ。それでも私は歩き続ける、その光を道標にして。