なぜカフェという形態なのかについて
私は、B型作業所から就労支援移行を得てご縁があって、一般就労となった。その時感じた。人間は、暇だとロクなことをしないと。
お世話になったのでその施設にカリキュラムなどを知っているので、人員を要請した。しかし、返事としては、そんなあやふやなものに手は貸せない。軽作業でもできるから、一般就労としてオープンで働かないかそれか施設で経営のことを学んでからの方がいい。
とのこと。
正直拍子抜けした。そうか、私は、まだ”保護されるべき”存在だと感じられているのだと。別に私は、障がい者だから、と必要以上の配慮を求めていない。職場でも、必要以上の配慮は求めていなかったのだが、それも重責と知らず知らずのうちになっていたようだ。
自分は仕事できるのだというつもりはないが、何もわからず放り込まれても大体のルーティンをし、その場その場にあったことをしてきたつもりだったがしかし、障がい者雇用というだけで、また、”大学出だから”といった対応を取られてしまった。正直なところ何も言わずにへへと笑っていられればよかったのだが、業務量が足りない。そんなのではお金は払えないというので、休みを使ってシステムを作り上げ、業務の改善も要請した。そこが気に入らないのかやはり、影でいろいろ言われていたのだろう。興味がない&業務以外は口にしないということもあり、”仲間”に入らない人間のことを悪口のターゲットにして憂さを晴らすというのは能力が低い人間のよくやることだ。それをやることで給料は上がらないが謎の連帯感が産まれるやつである。
なぜかSNSでブツブツ言ってたのが伝わっていたので、わざと文句を言っていた。
例えば、備品の発注をしていても、私は見てしまった。
またこんなことして!!とメモを持っていくのを
ありがとうございますと言いながら陰で文句を言ったり悪口を言ったりするのは、人間にはよくある行動なので、大して気にしていない。
まぁそんなわけで時間も減らされて目的を達成しましたと言われても生活がかかってるので、そんなことをされてまでニコニコとしている理由がない。と私は退職を決意する。
とりあえずは失業保険と年金で生きていられるからだ。払っておいた私はえらい。
そしてなんとか開店にまでこぎつけそうなのだが、なぜ喫茶店なのかという理由だ。私は以前から、起業がしたかった。
転職回数を二桁を超え、いい年齢だしと年齢で断られることも多かった。
なので、起業するしかないと思った。
別に形態はなんでもよかった。何かのメーカーでもよかった。
しかしずーっと見ていくと特許を取るのにも金がかかり維持を続けるのも金がかかる。
では、何がいいか。と思って、SNS上で会話していてふと思った。
障がい者のための施設はあるが、どれも画一的で、症状が重い人には助かるが薬または杖、または車椅子であれば働けるのにという人間がいること。
全て諦めて、社会の福祉に頼り切りでいなくても、労働人口として働けること。それを考えた。しかし、一般就労ではなかなか採用されない。
きっと差別解消法ができても変わらないのだ。
私がB型作業所に行く前には何もすることがなかった。お金はなくて、福祉に頼り切りだったけど、特に行くところがなかった。買い物をしようとしても、いろいろ見てもこんなことをしていていいのだろうかと思った。カフェに毎日行っても、自分も社会の一部として活動したかった。人間とは不思議なもので労働したくないと思っているのにいざ働かなくてよい。寝ていろ。と言われても眠れないのだ。私は、推しに生きているとは何かを教わった気がする。推しを見ていて、世界にはこんな人がいるのだから、まだ私はできる気がすると思ったのだ。何か役に立ちたくて献血に行った。
服用している薬が多くて、ダメだった。ロキソニンでさえ、当日飲んでる人間は無理ということがあって、献血は無理だと悟ってあの絶望感はなかった。私は何もできないと悟った。まともな人生を歩んでいないので、友達も数えるほどしかいない。
なので、私は居場所をつくろうとしている。別にカフェでなくてもいいのだ。カフェという形態が一番簡単だった。
別にそこにいるだけでいい。自分に何もなくて、ただ苦しくてもただそこにいるだけでいいのだ。障がい者施策手厚くて不公平に感じる人がきてもいい。ただそこにいて、また日常へと帰っていく場所なのだ。無から1を産み出すのはとても大変なので、そこで、制作活動をしてもいい。詐欺や反社会的なのはやめてほしいが。そこで福祉につなげられるために、私は、元いた施設にお願いしに行ったのだが、まだまだ足りなかったようなので別な方向でお願いすることとした。実際こんなにたくさんあるのに、使えないだとか居場所がないと感じる人はこれば良いのだ。そんな居場所を作ろうとしている。