主観と客観のあいだ
長男を見ているとどうしてもこんな事を考える。
主観と客観の間にある扉の事。
長男は、主観の檻に閉じ込められているかのようだ、と感じる。
彼はどうしても、人の立場に立って、とか
自分が相手の気持ちになって、とかが
想像できない、と言うのだ。
ホントに〜?
と疑いたくなることも多々あるのだが、
ホントにそうなんだな、と思う場面もある。
冷静に考えられる状態で、説明する側の工夫が十分な時は、想像できていると思うが、
主観に囚われて動けない!!
という状態になってる時も多いのだ。
それを、私は今まで彼の大きな問題点の一つだと考えてきた。
主観的にしか物事を見れなくなると、
良くない行動が現れる。
自分自身もそれによって苦しんでいる。
だから、客観的に自分や物事を見ることを覚えさせなければ、と。
だが今日自分の気持ちを蔑ろにして、人の気持ちを優先させすぎて、鬱になっている人の話を読んだ。
また、三浦春馬さんの件。
色んな記事やテレビの情報を見ていると、彼は誰から見てもいい人で、気遣いができて、ストイックで、完璧なのだ。なのに、結果としてその完璧さが彼の欠点だったのかも…とも思える。
彼は言わば私の理想の息子像。
長男にないところ、長男に教えたいところ、それを全て形にしたような人。
自分に厳しく、他人には優しく。
本音を直ぐ口にしたり、人を困らせる態度を取らず、相手の気持ちになって行動できる人。
彼らは、本当に客観的に自分や物事を見れる人だ。
でも彼らはそれが行き過ぎてしまったのかもしれない。
長男とは逆で、客観の檻に閉じ込められているような。
そう考えると、とても難しいが、その中間である事が出来るのが大事なんだと思う。
主観と客観の間にある扉は、鍵をかけずいつでも気軽に行き来出来る状態にしていなければならない。
でもどうしたらそれができるのだろう。
教わってできるものでもない気がする。
その答えはまだまだこれから考えていかなければわからない。
今なんとなく感じるのは、主観と客観の両方の世界が、それぞれにしっかりとしている事が必要な気がする。
それは、どちらの世界も安心できるということ。
どちらに行くのも怖くないという安心感。
それがあって初めて、鍵を外せるのかもしれないな。
ではその安心感はどうやって得られるのか。
生まれつきそれが感じられにくい脳の特性もあるんだろう。
だけどそれを得られる方法を考え続けたい。
お説教で変えようと思っても、変わらない。
客観の世界への安心感。
掴ませてやりたい…。