頭の中に「正解」がある人
私の苦手な人、それは頭の中に「正解」があって、それを信じて疑わない人だなーって。
今日は長男の担任との面談に行ってきた。2時間も話した。
この先生は、若いのに非常にいい先生で、信頼できる。
何故か。
この先生は、「正解」を持ってない。押し付けても来ない。
一緒に考えてくれる。悩んでくれる。
子育ては、正解がない。それは誰もがわかっているはずなのに、なんでか知らないが、「正解」を持っている人がいる。
そう言う私も以前は少しは持っていたかも。
でも、いろんな壁にぶち当たりまくるに連れ、長男の複雑で勘の良い脳みそのお陰で、そういう「正解」はどんどん形を無くし、分からなくなった。
だから、ずっと、正解を探していた。
答えがわからないと不安だった。
答えが欲しくて、誰かにこれが答え!って決めて欲しかった。責任を持って誰かに。
そんな長い時期を経て…どんなに探したって、悩んだって、正解なんかどこにも無かった。
そんな私だけど、自分の頭にあった「正解」が、崩れるのは早かったとは思う。
その理由は、本当に子供の為に悩んだから。
そして、哲学や哲学科で出会った人、それとアメリカで得たもの、映画や好きなカルチャー、家族、そういった自分を作り上げている環境や経験のお陰だと思う。
でも周りには、子どものために悩んでいても頭の中の「正解」がなかなか崩れない人や、そもそも、疑いもせず悩みもしない人も居る。
そういう人は、合わない。
無理センサーが働く。
でもそういう人って、きっと私のしてきたような、経験や環境がなかったんだろうなー、と思う。
哲学は、役に立たないという人もいる。
私も、大学で哲学科に自分で入っておいて、役に立つのかな?と思っていた。
卒業してから、もっと仕事に直接結びつく勉強をしておけばよかったと悔やんだ事もある。
で、実際、学んだことのほとんどを、忘れてしまってるしw
でも、でも、やっぱり今の自分を支えてくれているのは
哲学科に入って得たものが大きい。
それが、疑うという姿勢。
常識、目に見えているもの、自分が正解だと思っているもの。
本当に正解?
本当にほんとう?
いつも、無意識的に疑って考える。
でもその反面、だからこそ、いつも自信がない。
優柔不断とも言える。
それって、よくないことのようだけど。
自分の考えが正解か、自信がない。
でも今日思った。
寧ろそれが当たり前で、その状態であることこそが、それだけが、正しいのではないか。
長男は、「自信がない。」とよく言う。
でもそれでいい、と言おう。
それが、素晴らしい。
子育て論では、よく「自信をつけよう」、と言うけれど。
私はその逆で、「自信が無いのは素晴らしい!」とでも言ってやろうか。
「自信がない」、その時点で、あなたは考える力がある。
自分の正解を疑ってもみない、自信満々で批判してくるあの人達より、私は断然あなたが好き。
そう言ってやろう。
自信なんてつけさせなくていい。
とにかくそのままでいいというだけ。
それだけでいいのだと思う。
そしてこれからも、一緒に悩んで、一緒に考えて行く。