日本は健全なアウトプット強化が課題だと思う
急に思いつきみたいなこと言い出して始まるけど、わたしの文章はそこが特徴なのです。
ピンときたことを、タイトルに書いてしまって、本文は考えながら書いて行き、書いてる間に考えをまとめていくので、
凄く読みづらいと思いますが…。
まぁ私の書く文章を、そんなに誰も期待してないんだから、それに、自分のために書いているので、気にしないで書こうと思います。
タイトル通り、日本人はアウトプットを、健全に、できる場、それとその教育が少ないと思う。
日本の学校は同調圧力がすごいとはよく言われていることだけど、これは本当に根深い問題だと思う。
学校でそうだから
大人たちもそうなってるのか、
大人たちがそうだから
学校もそうなってるのか。
にわとりと卵のように、どっちが先かはもうわからない。
でも、社会は個性を求めている一面もある。
欧米の文化を、これだけ真似てきた日本だから、生き方や教育にもそれを取り入れたいと思う人が出てきて当然。
けどなぜか、未だに変わらない日本の湯呑みの底にたまった濃いーいお茶っ葉の粉末みたいな部分。
学校教育。
アメリカの学校にも校則はある。
はっきりと罰則が事細かに記載された分厚い冊子があり、日本より厳しい。
しかし、日本のような変な校則はない。
ツーブロックはだめとか。膝の下10センチのスカート丈とか。
みんな同じにして
そこからはみだしたらいけないよ、と教える。
ゲームセンターに行かない。
って小学校から配られた夏休みの過ごし方のプリントに書いてあった。
アメリカでは、小学校とか幼稚園の子がバースデーパーティー開いてクラスの子全員招待して、ゲームセンターでパーティーしたりする。
ゲームセンター自体が全然違うんだけどね。
それも、ゲーセンが健全な場所じゃなくなったのが先かゲーセンを健全な場所としない人が先かみたいな問題になってくるけど。
なんだろう。
SNSもそうだったよな。
最初、健全な場所と見なされていなかった。いじめに繋がるとか、変な人に出会うとか…
実際、そういう一面もあるし、今もそう言われている。でも、結構いい面も受け入れられて、毛嫌いするのも古いって感じだよね。
日本人にSNSが受け入れられるようになってきたのは、日本にとって
すごく大きな変化だったと思う。
SNSは紛れもなくアウトプットの場だから。
でもね、日本人の湯呑みの底はすごいもんで
SNSにも、らしさが出てくるよね。
誹謗中傷、間違い探し、同調しないといけないという恐怖心、不安。
何かが歪んでくる。
どこから?
だれから?
でも、私はTwitterやってるし、かなり好きだ。
匿名で、言いたいことを言って本音が見える、こんな場は、日本にかつてなかった。
そして、大概が健全に、自分のアウトプットをしている。
匿名ではなく本名や顔出しでやってる人もいる。
勿論、誹謗中傷は悪いが、批判や反対意見を出すのは全く問題ない。
言論の自由。
そんなことをこんなに多くの日本人が、日本の庶民が、実感したのはTwitterが初めてかもしれない。
感情を出せる場所。
出していい場所。
そんなふうに頼っている人も少なくない。と見受けられる。
だけどね、本当はその本音を、リアルな世界で直接言える方がいい。
Twitterで言えるだけましになったんだけれども。
リアルでも言って、Twitterでも言えるのが理想。
皆が、何かしらの、誰かしらの、何処かからの、正解を気にして、顔色をうかがって、自分だけおかしな事を言ってないか、間違っていないかを気にして、自分の意見を言わない。
言いたくても、うまく言えない。だから言わない。で、どんどんたまりにたまって、変な方向にアウトプットしてしまう。
でもそれが功を奏して、斜め上や斜め下からの発想で、そこから時々すごいオリジナルの文化が生まれたりもする。
だから、日本にはメインカルチャーがない。
全てがサブカル。
そんな感じ。
変な校則に縛られて、机の下で隠れてコソコソケータイで作るカルチャーみたいな。
日本がそんな教育の国だからこそ、生まれた偉大な芸術家が、作品が、たくさんあると思う。
もしも学校でロックを教わっていたら、ロックを好きにはならなかったかもしれないように。
でもね、もしも、日本が同調圧力もなく、個性を称賛する教育で、
健全なアウトプットが出来る場所がすぐそばにあり、
健全なアウトプットの仕方を自然に身につけられる教育環境がある国だったら…
救われた命、
生まれた名作、
生まれた発明…
それも
もしかしたらもっと沢山あったのかなって。
そっちの未来も見てみたいと、思う。
うちの子は正に、アウトプットが苦手。
うちの子が苦手なことは、私の苦手なことなんだけども。溢れ出る感情をうまく表現したり、コントロールしたり、人に伝えたい事を伝えたいように伝える方法を、もっともっと、強化しないとなぁ、と毎日思っている。
インプットが、めちゃめちゃ速くて、
しかも好奇心が強いから量的にも大量。
だからこそ、うまくアウトプットをできるようになって、
インプットとのバランスを取れるようにならないと、どんどん変な方向に歪んで出てしまう。
うちの子、特に長男のこの特徴はかなり強いが、長男ほどではなくても、日本人はこういう傾向がある人が多いと思う。
でも、このアウトプットを、もしも義務教育でうまく、それこそ健全に、強化出来れば、そこさえうまくなれれば、うちの子達もだいぶ生きやすくなるんじゃないかなぁ、と思う。
でも、そのためには、今のままの学校じゃ駄目。
たぶん、今の学校で、アウトプットを教えようってなったとして、結局やらされてる感の、同調圧力教育の新ジャンルにしかならないと思う。
相当進めるのがうまいプロフェッショナルな先生でもいない限り。
たぶん、学校も変わらないといけないし、そのためには、政治が変わらないといけないし、
学校だけじゃなく、親の意識が変わらないといけないし、そのためには、社会全体が変わらないといけない。
どうしたらいいんだろう。
今日見たTwitterで、スエーデンには変な人がいない。みたいな事を書いてる人がいて。
それは、2つの要因が関係してると。
1つは、ストレスのない生活、
もう1つは、ストレスをうまく発散出来る環境があること、
というような事を書いていた。
それって正に、インプットと同時に、アウトプットも健全に出来る状態という事だなーと思った。
日本人はストレスが多い、とはよく言われるが、それを健全に発散する方法も、強化しないといけない。
それも、にわとりと卵みたいな話なのかもしれないが…。
どっちが先でもいいけど、どっちも、改善するには、
まずは思ってることを、ちゃんと伝える!
それを、言っていいんだよ、むしろ、まっすぐ伝えることが大事なんだよ、
って子供に伝えたい。
そして、
大人が、ちゃんと聞くこと。
そこからからだろうな。
頑張ろう。