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思いついたことを言葉にしてみる#01「好き」の肌感覚

毎日の生活で、いきなり何の脈絡もないことをよく思いつく。仕事中でも、遊びの真っ最中でも、はたまた寝覚めのぼんやりした頭の中でも。

ほとんどは一過性で、すぐ忘れてしまうのだが、中にはなかなか粘着性の高いものもあり、頭の中から消え去る前に手帳にメモしておく。それは何かの暗示かもしれない、なんて感じながら。

塩漬け的な時間を置いて、書き溜めたメモを読み返すと、四方八方に思索が広がり、思いもよらぬ結果を導きだしては、いとおかしな世界。頭の中で完結することでも、記憶が消えないうちに記録しておきたい気持ちは想像以上に強く残るもの。そこで記録するツールの選択肢にNoteがあった。まずは試しに日記感覚で書き始めようと思う。

最近に思考したことで、趣味と言えるほどの「好き」ってなんだろう、と思いついたときの経緯。

私自身、還暦近くになり、親しい友人に誘われるような形で登山を再開したのである。まだ三十路の頃、少しだけ低山を登った経験があったので、大した気負いもなく奥多摩方面の低山を登ってみたのだが、今まで経験したこともないような「キツさ」に、身体から容赦なく悲鳴があがる。リタイアしても怒られることはない。けれど、歯を食いしばりながらなんとか山頂へ向かう。

ゼイゼイしながらたどり着いた山頂。登山における達成感は、山頂までの苦闘の末に得られるもの。素敵な景色を堪能し、手持ちのバーナーで湯を沸かして、あたたかいワンタンスープをすすりながら、ほおばるおにぎりのおいしいこと。そして、苦労して登った道を見下ろしながら、足取り軽く下りながら湧き出す優越感は、がんばった私へのご褒美。帰り道がてらの日帰り温泉で汗を流し去り、帰宅しては、肉体疲労がもたらす深い睡眠。肌で感じた「心地よさ」の断片が溢れんばかりに列挙されていく。

再び、その心地よさを享受したくて、自然と山へ足を向ける。回数を重ねるうちに、身体も登山仕様に出来上がっていく感覚、そして少しづつ、難度をあげてみる。

ここまで書き上げて、私は初めて「登山が好きだ」と言い切れるような気がしてきた。つまり、他人から「ご趣味は?」と訊かれたら、「登山です、低山ですけど・・・」と即答できるような感じである。

思いついたことを、言葉にして、そこから考え始める。自分のポジティブな変化を認知することは、五十路過ぎて初めて体験した知的な歓び。

「まだできるじゃん」

こんな言葉が思いつく。今の私には尊い言葉だ。

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