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思い付いたことを言葉にしてみる #11 プジョー404

登山以外の私の好きなことを書いてみようと思う。それはクルマのこと。特にフランス車のこと。

昔からフランス車が好き、というより肌に合っていたので、何台も乗り継いだりしていた。今も一台だけはフランス車がある。ただ乗り継ぐたびに年式を遡っていくのである。それはある程度まで旧いほど、私の好きなフランス車のアイデンティティが明確になるからだ。個人的感覚、嗜好もあるけれど、私の「肌が合うフランス車」は1960年代まで行き着いた。それはメーカーがフランス人のことだけ考えてクルマを作っても商売になった時代とリンクしていると思う。フランス車独自の個性が私の琴線に触れる。

私の肌が合うところの一番大きなことは、フランス車の柔らかい乗り味。そこはかとなくやさしさに包まれる感覚で、それこそガソリンの続く限りどこまでも走って行けそうな気にさせる。今でもその感覚はとても心地よく、そんな性能を提供してくれるフランス車は、やはり旧いモノになってしまう。

でもそれは実用のクルマとは別の趣味クルマとして維持できればの話。天候を含めて、ニッポンの道路環境は旧いクルマに全然優しくない。気候の良い、交通量の少ないときにちょっとだけ乗る。または思い切って気候のよい秋の中旬に長期休暇を取得して本州の果てまで足を伸ばしたりと。シトロエンをあえて避けて、構造が単純なプジョーやルノーを選んでいるので、なんとかなるの一点で乗り続けている。

長い期間、旧いフランス車を買い替えていたことで、思いがけないクルマとの出会いがあった。フランス車好きの中で著名な方が所有している貴重な車の話が舞い込んできた。10年近くガレージに置いたまま、まったく動かしていないとのこと。そのクルマはプジョー404である。

その個体の存在を知ってはいたが、大きく心を動かされたワケでもない。しかしながらあれよあれよと話だけが進んでしまった印象だけは残っている。結局、私が引き取ることになった。当時愛用していたプジョー406ブレークを手放して。思い切った先祖返りである。

仲介をしてくれたクルマ屋の社長と一緒に引き取り行った。屋根付きのガレージで初対面。丸いヘッドライトが私を見据えているように思えた。なんとなく悲しげでもあったが、それでも心を動かされることもなく、黙々とガレージからウインチを使って外へ出し、ローダーに乗せた。外観の傷みは見受けられない。まずは修理工場で細かに状態をみることに。

2014年8月 初対面 ローダーへ引き上げたところ

エンジンはすぐに掛かった。機械式のインジェクションも作動している。ただし足回り、特にリアブレーキは壊滅的に傷んでいた。走るけれど止まらないクルマである。でもプジョーの主治医として有名な店なので、二ヶ月ほどで車検取得、秋中旬には路上再デビューできるかしら、なんとも楽観的に考えていた。

仕上がりを待つ間、ニッポンにおけるプジョー404について調べてみた。正規輸入は一桁台、著名な方もお買い上げになっているけれど、輸入車の価格が圧倒的に高額であった1960年代に、フランスの中流層に好まれていた、どちらかといえば目立たない普通の中型セダンは当時のニッポンでは気にも留められなかったこと、容易に想像できる。大きくて派手、権力の象徴みたいなアメ車全盛期の頃である。

ところで404のことは、待てども進捗がない。店とのやりとりで分かったことは、プジョージャポン経由でブレーキ系の部品をオーダーしたのだが、まったく入手不能状態が続いていたのである。それは母国の本社でも欠品ということ。

ブレーキは重要保安部品であるから、できるだけ純正で組み直すのが望ましい。でもそれではラチが明かない。結局、自己責任のもと純正でない方法でブレーキの新調を依頼した。すでに一年以上の月日が流れた。

晴れて車検取得 左のサンクは当時の足

いよいよ車検を取得して手元にやってきた。世界で280万台も生産されたのに、ニッポンでたぶん唯一無二の公道を走れるプジョー404である。最初は重い感じがあったエンジンも徐々に軽くなってきた。私と肌の合う重要ポイントである柔らかい乗り心地は、しっかり感じ取れた。私の心も少しだけ寄り添いつつあったのであるが、燃料タンクのサビがフューエルラインを通って、機械式インジェクションを詰まらせてしまった。こうなるとまったくエンジン不動。JAFのお世話になること再三再四。燃料ポンプ手前のホースにフィルターを取り付け、ようやく改善した。

機会を作っては動かそうと、イベントなどにもまめに参加したりして、次第にダメ出ししながら改善しては、調子も落ち着いてきた。思い切って関西地方までの遠出を試みた。名古屋在住の、この404を日本へ持ってきた方(友人の幼なじみであった!)や、兵庫在住の、昔404を所有されていた友人のもとへ、一切のトラブルもなく、1000キロを走り抜けた。その後、404でやりたいことが済んでしまったような感覚があり、同じころ私の心を震わせるような出会い(クルマだけど)があり、あっさりと手放すことにした。知り合いのクルマ屋へ委託販売の形式をとった。

左は私の心を揺さぶったルノー16 実質的に404と入れ替え

しかし、引き合いがあっても、なかなか売れず、不良在庫のようになり、店からは、やんわりと引き取って欲しいような催促があり、結局三軒目の店でようやく次のオーナーが決まったのである。手放すことを決めてから二年近い月日が流れていた。

書き続けているうちに、この投稿では終わらないことが判明。思い入れの薄いままだったその404は今、私の手元にある。それはなぜか。その話は長くなるので、またにする。(つづく)

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