朝がくる
月曜日の朝は、憂鬱だ。
長男がやたらと、「あーあ、休みが終わった。あんまり休めなかった」と言うからだ。
朝から、気持ちよく過ごそうと家事をこなし、出かける準備をしているのに。私が思い描く爽やかで気持ちのいい朝は簡単に崩れる。長男の嘆きでバリバリバリっと破ってしまえるくらいに、私の爽やかな朝は脆く薄っぺらい。
反応しなければいいのに、私はその破られた残骸を拾い集めながら息子に詰め寄ってしまう。
なんでそんなこと言うの?
あんまり休めなかったって何?
休みたければ休んだら?
苛々をぶつけられたことに苛々してる?いや、違う。私も同じ。あーあ、だるいなって思ってたけど、無理やり「良い気分、良い気分」と思い込もうとして、爽やかな朝を想像したりする。創造できるように必死こいて動いてしまう。
そこに、本音丸出しの息子が来たから、私だってまだまだやすみたいのに頑張ってんだよ!って苛々してしまった。
八つ当たりだ。
長男はただ、素直な気持ちを言っただけなのに、やつあたられてしまった。ごめん。
長男は不機嫌に、悲しそうに準備をして登校して行った。その後、下の子たちを保育園に送って、通勤中に反省会を繰り広げる。
どうして反応してしまったんだろう?
朝は忙しいし、眠いし、苛々しがち。それなのに、良い気分でさわやかな朝を過ごさなきゃいけないと必死になって取り繕ってたからだ。
そんな必要はなかったなと思う。大体さわやかな朝ってなんだょ、機嫌のいい朝ってなんだょ。無理してる時点で違うだろう。
なぜ無理したんだろう?
だらだらと会社行くのいやだなーなんて態度でで子どもに働くことへの抵抗感を植え付けたくなかった。でも、嫌な時もあるよね。別に無理する必要もない。子どもは賢いから取り繕っても気づく。
どんな朝だって良いじゃない?
だるくたっていいし、あぁもうちょっと休みたかったって反省があってもいい、今日は眠くたって良い。「あーだるい、行きたくない」って長男が嘆いてたって、「あーわかるわかる、行きたくない」って同じ気持ちでいい。それはそれでなんともさわやかな朝だ。
反省点
・どんな朝でも朝は朝
・無理やり良い気分を取り繕わない
・ありのままでいい
薄っぺらい絵を描くより、今ある現実の方が少しくらい見栄えが悪くても味があって自分好みのはず。自分好みから離れていたら、少しずつ近づいていけばいい。
その夜は、早く寝るようにした。
眠いと不機嫌になる私と長男は、睡眠不足が大敵だから。しっかり眠れるように早く寝よう。
ベッドに転がり、長男が言う。
「明日、まだ寝たいなんて言わないように早く寝るね。明日、眠たいって言っても起こしてね。気にしないでね」
猛省の嵐。
「ごめんねごめんね。朝は本当にごめんね。実は私もいっしょで眠かったから、私だって眠いのにやってるんだよ!って苛々してしまって本当にごめんね」
話してる時に、長男は夢の中へ。私は保育園でガッツリ昼寝して、目がバッキバキの下の子どもたちの相手をしていたが、寝かしつけられてしまいぬるりと夢の中へ落ちた。
翌朝、朝はやくに目が覚めたのに身体は起き上がれずベッドでまどろんでいた。長男も同じで一度起きたが、二度寝へ突入。
二度寝から目覚めた長男は「まだ寝てたいなのと言った。
「わたしもー、まだ寝ていよっか」
そうゆうと、一瞬きょとんとした顔をした後に笑ってくれた。
あぁ、朝がきたな。
時計は気になったけれど、良い朝だし、気分は良かった。
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