水たまからこぼれるはなし
2600余字の原稿を書くため、浅学は浅学なりをもって折口信夫という崇高な山に分け入っています。一昨年、おかやま文学おかやま文学フェスティバルでお役目のおはなしをさせていただいたときに一度分け入り、ふたたびこの山にやってきました。
林浩平さんの『折口信夫 霊性の思索者』を読み進めていき、きのうの明け方、ある部分にきて、ああ、この方は、となり、今日びのことでごめんなさいとウィキペディアカンニングをさせていただき、加納光於、キング・クリムゾンと出てきたので、おぉ、となり(このあたりでほぼほぼの方を振り落としていることを重々自覚しています)、日本の古本屋さん経由で御詩集『光の揺れる庭で』『心のどこにもうたが消えたときの哀歌』をそれぞれ別のお店で急ぎ注文させていただきました。
お店の御名前など確認せず、これまた今日びのやり方で、ポチッ、ポチッ、と手続きを進め、支払いを完了。昨日の午後になってそれぞれのお店から注文確認のメールが届きました。
『光の揺れる想い庭で』を求めたお店からの確認メールには、お店の名前が「水たま書店桜井店」とありました。大神神社のある奈良の桜井市のお店のようです。
きのうの朝、拙く「水たま」「こんこん」という詩を綴ったところでした。
ほとんどだれにも理解されないであろうこの、つらりつらりと水の流れてゆくようなつらなりに、あぁ、多分このままいてよいのだな、と胸をなでおろしました。
自身の記録としてここに記しつつ、林浩文さんの詩集の届くのを待っています。
霊性。この領域のおはなしできるところでしかほんとうの息ができません。
ふだんはいつもくるしひといえば
そうですが、
くるいひままの息をつないでいると、
水は玉、となり
玉は珠、を産み
靈の内へと
吸われゆく
こんこんこんとん
ころころこんとん
どこまでこんとん
水はとぎれずゆくのです
旅はつづいているのです
その旅のつづきがまだあるのだろう
と、そう思えることに出遭うのです。
ここでおほきく息をしなさい、
といふような風が吹くのです。
光とともに吹くのです。
そんなことでこれからも、
くるしひをつないでゆこうと思います。
またどこかでおほきく息ができる
そのことを信じましょう。
いままでがそのようであったから
きのうがそのようであったから
ここからもたぶんそのようであるのだろう
そう思うことのできる
そのことが
わたしのいのちのありようです。
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