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(復元)スポーツ観戦記3_実った『鞠再興』に嬉し涙。16年前の決戦も雨だった

「希望と心配を胸に」
(今度こそ勝ちたいな…)
2019年12月7日。この日は雨で朝から空が鉛色だった。今日はマリノスのマッチーデーで相手はFC東京。1位と2位の直接対決で2点差以内の負けならマリノス優勝という状況であったが、6年前に長蛇を逸した苦い思い出からか、
(最後まで何があるかわからない)
と静月は落ち着かない。6年前より寒い上に雨と観客泣かせの天気であった。コートを着込んで、股引や腹巻を仕込み、腹と腰に懐炉を忍ばせかなりの厚着をして臨む。
(カチッ、カチッ)
出発に先立ち母親が火打ち石で験を担いでくれる。脳溢血で一時危篤状態になったのは7年前、生還こそしたが車椅子は手放せない。よちよち歩いて見送ってくれる母の愛が沁みる。
自宅から横浜まで片道千円のところにある。一番電車代の安い道を択んで地下鉄を乗り継ぎ、横浜に向かった。電車に揺られながら先ずデータを洗う。

・横マvs瓦斯:12勝17敗8分(うちホームでは8勝8敗2分)
・横マvs瓦斯+雨:2勝4敗
・横マvs長谷川健太:6勝9敗8分
※注:2019年11月末/33節終了時点

スバリ与し辛い相手だ。前回対戦でも4失点で敗北している。マリノスは伝統的にドリブルとミドルシュートを敬遠しやすい。対して長谷川健太は籠城戦が得意だ。ミドルシュートは籠城している相手に効きやすい策だが、わざわざマリノスは自分たちからミドルシュートを「邪道」と決めつけて有効策を手放しているので引き籠った相手から得点を奪うのは非常に苦手だ。
それとは別に東京は「有名人のソックリさんの宝庫」でもある。キーパーの林彰洋はアニマル浜口の娘で女子レスリング選手・浜口京子、ディフェンダーの森重真人はアニメのおでんくん、中盤の東慶悟は海洋学者の宮澤正之ことさかなクン、同じく中盤の高萩洋次郎は中村獅童、そして監督たる長谷川健太は『ちびまるこちゃん』のケンタくんそのものだ。
それだけではない。6年前のV逸からこの日までマリノスではいろいろなことがあった。2015年からマンチェスターシティなどのチームを持つシティフットボールグループ(CFGと呼ぶ)が海外展開に乗り出し、マリノスも傘下に入った。某マリサポがTwitter上で述べていたジョークだが、13年夏にマンチェスター・ユナイテッドを花試合ながら撃破したのを認められて入れてもらえたという説はクスリとした。
海外のやり方にクラブは改革を行うことになったのだがこの改革に異を唱えた選手がいた。看板選手だった中村俊輔である。内外ともマリノスの看板たる俊輔だが、CFGの改革で既得権益を脅かされると焦りマスコミを使って誹謗工作に乗り出した。結果俊輔はマリノスを追われるという出来事が起こっている。看板選手たる俊輔がマリノスと袂を分かれた波紋は大きく、翌年には齋藤学が川崎に寝返るという出来事が起こりマリノスに嵐が吹き荒れた。静月も三国志13を購入した。
(もしマリノスがチーム崩壊したらゲームに逃げ込もう)
という本心は否定しない。それだけ心配は少なくなかった。それでも『鞠再興』という自分なりの言葉を作り、試合結果は欠かさずチェックし、チームに関する記事は積極的に目を通した。『鞠再興』は中国で最もメジャーな時代・三国志が元ネタで、漢の庶流に当たる劉備や劉備の股肱である孔明こと諸葛亮が一度潰された漢王朝の復活を目指す合言葉である『漢室再興』というフレーズを、静月が捻って考えたものだ。
御家騒動での落日を覚悟した静月であったが、杞憂に終わる。19年も飯倉大樹の流出こそあったが、SD・小倉勉の辣腕と監督・ポステコグルーの目利きでエリキをはじめとした途中加入した選手が次々結果を残している。不動起用を避け面子の入れ替わったチームはシティ仕込みの改革が実って得点力が大幅に上がり、マスコットであるマリノスケのソックリさん扇原貴宏や、『ドラゴンボール』のクリリンに似たマルコスジュニオールの躍動で静月をマリノスに引っ張り込む。辛い別れは少なくなかったが、静月がマリノスのことを考える時間は増えた。なによりもマリノスの優勝を間近で見届けたい。応援チームたるマリノスでもベイスターズでも評価の低い人はいるし、ファンとしては薄情で現金な奴かもしれないが、曲がりなりにもガキの頃以来の応援チームだ。6年前に見れなかった景色を今度こそという意気込みはある。
そして静月は思いついた。寺社巡りをしてマリノスとベイスターズのダブル優勝を祈ろうと。總持寺、関帝廟、伊勢山皇大神宮、成田山延命院、弘明寺、妙蓮寺、三ッ沢の傍にある妙深寺、金沢文庫の傍の称名寺…途方もない数の寺社を巡って戦勝を祈った。特に印象に残ったのは三ッ沢球技場の傍にある妙深寺で、このお寺さんを訪れたのは天皇杯で横浜ダービーをしなくてはいけない直前だった。信者でないにもかかわらず礼拝堂に入れてもらい戦勝を祈らせてくれた。無事勝つことができ(8月14日、〇2-1)、実にありがたかった。

横浜関帝廟。関将軍ファンなので

「すべてはマリノスのために」
この日も凄まじい人ざかりだったが今回は年間チケットを購入したのが功を奏し、前回と違って見たい席を悠々と確保することができた。静月の見る場所はピッチのコーナーフラッグの対角線だ。奥行きで迷うことがあるが首の振りが少なく見渡しやすい。さて手渡された袋の中には「すべてはマリノスのために」という金色の文字で刻まれた紙製のフラッグがあった。入場時に掲げるものだ。このフレーズはベテラン選手である大津祐樹の呼びかけで15年ぶりの優勝を期し、合言葉として広まったものだ。紙製のフラッグを掲げて入場を待つ。大一番ということもありこの日もまた63854人もの観客が詰め寄せた。

とにかく寒かった


序盤はやや瓦斯ペースでぶつかり合いを意味するデュエルで苦戦しスプリント力ある永井謙佑に何度もゴールを脅かされたが、出場停止の扇原に代わり今季途中加入した和田拓也が丹念に相手の攻撃の芽を摘む。前半25分くらいまでは瓦斯のペースで進んだが26分、相手のゴールキックを拾って途中加入のエリキが右に展開する。斜め後ろの和田を経由しLSBでタイ代表のティーラトンがペナルティーエリアの外から左足を一閃した。さかなクンこと東はカラダを投げ出してブロックを試みるも「マリノスはミドルを撃たない」セオリーの意表を突かれたか球威が勝り、野球のフライの如く放物線を描いてゴールの方角に飛ぶ。浜口もとい林はボールを取ることができず、網に突き刺さった。思わぬ形での先制。タイの英雄が右拳を突き上げ、仲間が駆け寄った。
4点以上で勝たないと優勝できなくなる瓦斯は幾度となく攻めた。瓦斯は99年にJ2が開設されたときの初期メンバーで、00年以降降格はわずか一回と後進のチームにしては好成績であるが、同期でライバルのフロンターレにJ1優勝の先を越されていた。永井を筆頭に快足を飛ばしてマリノス陣地に殴り込む矛先はなかなかに鋭かった。
それでも試合を折り返すのを待たずマリノスは2点目を捥ぎ取ることとなる。前半終了間際、クリリンことマルコスがやや左寄りの中央を進みパスを受けたエリキが小川諒也を背負いながらも左足を一閃し、ゴロシュートながら林の右手を潜っててまたもゴールネットを揺らす。小指だけを曲げて仮面のように顔を覆うパフォーマンスは映画の『スパイダーマン』だという。6年前と同じように相手のプレスに悩まされながら、前半だけで2点リードを奪えた。前半のほとんどを神妙な面持ちで見守っていた、静月の心配を大きく塗り替える僥倖だった。
後半早々にチアゴマルチンスのパスミスから被決定機を迎えて耐えたが、後半16分に思わぬ事態が生ずる。敵陣でのパスミスからカウンターを決められ、キーパーの朴一圭が永井を倒してしまった。
(こりゃダメだ。レッドだわ)
一度はイエローで済んだが、瓦斯サイドは猛抗議。結局静月の予想通りキーパー一発レッドの憂き目を見た。決定機阻止なのはすぐわかったので動揺はない。ピッチ内では朴やマルコスや喜田は納得いかない様子であったが、むしろ交代枠を残していたのは幸運である。ジュニアユース出身で都倉賢の同期たる中林は大一番での緊急登板となったが、熟練の技か動じる様子を見せない。直後の瓦斯のフリーキックで森重は直接狙うが枠を捉えられない。
後半31分獅童もとい高萩の裏へのパスがオフサイドを取られガスの選手が背を向けると、ティーラトンが素早くリスタート。左サイドの遠藤渓太にわたった。同期である和田昌士とともに昇格した遠藤はドリブルを得意とする選手で、齋藤学の跡を受ける形で試合に出始めた。しかしなかなか思うような結果が出せず悩める子羊状態を味わうも、遠藤は無人の左サイドを疾走し駆けつけてきた田川亨介を振り切り左足で放ったシュートは林の左足を翳めサイドネットの内側にボールは到達する。この日3点目、それも数的不利を跳ね返してのゴールであった。残り時間は瓦斯がボールを持つも決定機を作れないまま笛の音が三度横浜の寒空にこだまする。横浜F・マリノスの15年ぶり4度目のリーグ優勝を達成した。
15年も待った観客席の方々から歓喜の声が上がった。静月もまた諸手を上げて声を張り上げる。6年前にお預けさせられた歓喜の瞬間、マリノスの試合の日のたびにパソコンまたはスマートフォンの向こうで途中経過を見守り、下條の悪政に苛立ち御家騒動で不安ばかりを募らせ、『鞠再興』という言葉を連呼していた日々…フランス式トリコロールの傘を開いて回す静月の目から汗が止まらない。
インタビューに応じたキャプテンの喜田拓也もまた泣いていた。「このクラブで長くやって来てずっと勝てなくて申し訳ないとばかり思っていた」と。選手ならば重圧は大きく、まして小学生からマリノスにいた喜田なら我らサポーターの衆にもわからないくらいの責任たるや言語を絶するものがあろう。この日で引退を決めていた栗原勇蔵を勝ち戦で送り出せた。

勝利の儀式・トリコロールパラソル

「ジンクス男、大事な見落としをする」
日産スタジアムから出た時には12月ということもあり既に真っ暗だった。小腹が空いたので、まだやってた売店でフランクフルトと牛串を頬張り家路につく。横浜にでてグリーン車に腰かけ試合の余韻を楽しみながらTwitterやらドメサカブログやらの「優勝おめでとう号」を見ながら家路を楽しむ。そんな中Twitterでこんなやり取りがあった。
新参「雨かあ…重馬場は相手の方が得意だし参ったなあ…」
古参「…勝ったな」
新参「えーっ!キーパー退場⁈どうすんだよオイ!」
古参「…勝ったな」
オロオロする新参サポと、早い段階での勝利を確信する古参サポのやりとりに静月は目を引いた。
(なんでこの古参さんは早い段階で勝利を確信できたんだろう…?
こんな試合、以前あったか?)
しばし静月は考えあぐね一つの試合が頭に浮かぶ。
(う~ん、う~ん…そうか!あの試合だ!)
答えは16年前の2003年の最終節、マリノスと磐田の直接対決だった。雨の日産で行われたこの日、開始早々に失点しキーパー退場でさらに厳しい状況になる。それでも緊急登板した下川健一や「退場した人の分まで頑張ろう」とキャプテンである奥大介の呼びかけで落ち着きをとり戻し、後半に追いつき追い越した。同じく優勝争いに加わっていた鹿島が勝てず、マリノスにとっては2回目となる優勝が転がり込んだ伝説の試合だった。
(しまった!なんでこの試合のことをもっと早く思い出せなかったんだろう…こんな心労をしなくて済んだのに…)
あの試合もホームゲームだった。あの日も雨だった。あの日もキーパーが退場した。笑っちゃうくらいに今日の試合ソックリだ。独り苦笑いしながら己の修行不足を痛感する。だがいい。岡田武史も言っていたが「苦しんだ分だけ、達成に喜びは大きい」と。今日のことは一生忘れないだろう。
(おっと。御蔭参りをしなきゃいけないねえ)
地図を手に再度歩き回った。

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