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ゆっくりゆったり

和田秀樹先生の「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」を読んで心に留めて置きたい少し元気になる言葉。

 できなくなったことを面白がるというのは、やりたいことをやり続けるためのコツなのです。

 ボランティアを社会のため、地域のためとだけ考えるとどうしても義務感が生まれてしまいますが、自分の楽しみのためと割り切ることができれば、気楽な気持ちで、しかも張り合いを持って動き続けることができるでしょう。

 長く続けてきた経験や、蓄積された技術や知識がある限り、高齢になっても自分親しんできた世界、やり続けたいと思っていることは何でもできる。
 レベルを下げる、楽な方法を考える、器具やグッズの力を借りる、ときには誰かの手を借りる…どんな方法でもいいので、諦めないことです。
 それによって80代後半になっても、自分が好きな世界の周辺に留まり続けることができます。
 若い人の手を借りながら一緒に楽しんだり、自分の経験してきたことを話たり教えたりするだけでも、毎日が輝いてくるはずです。

 勉強するというのは、さまざまな可能性を求めることになってきます。「こういう可能性もある」「そうならない可能性もある」と考えながら、いくつもの答えを探していくのが勉強するということではないかと思うようになったのです。
 したがって、自分がいま持っている答えも、間違っているかもしれません。
 でもどんなに世の中に支持された考えであっても、それが正しいとは限らないから同じことです。「正しいかどうかはわからないが、いまはこう思っている」という気持ちを忘れない限り、自分が培ってきた考えは胸を張って口にしていいはすです。
 世の中にはときどき、自信を持って自分の考えを押しつけてくる人がいます。そういう人に対して、私はこう反論することにしています。
 「でもその説が絶対正しいという根拠はありませんね」「その答えはずっと先まで正しいと思っていられますか?」
 そう言えば、たいていの人は「まあ、それはそうですけど」とおとなしくなります。


 一日一日、少しずつ賢くなっていく。70代だろうが80代だろうが、これはやはり大切なことであり、嬉しいことだと思います。


 高齢者の脳を刺激するのは、インプットよりアウトプットだということも忘れないでください。


 うつ病と認知症の簡単な見分け方を説明しておきます。
 すでに説明したように認知症は非常にゆっくりと進行していきます。一緒に暮らしていても「いつから始まったか」はなかなかわかりません。
 一方のうつ病は、ひと月ぐらいを境に急に物忘れがひどくなったり着替えなくなったり食欲が落ちたりします。「そういえば春ごろからおかしいな」と家族にもわかります。ですから本人も「最近は何だかやる気がしなくなったな」というはっきりした変化に気がついたときは、まずうつ病を疑ってみてください。

 

 「決めたことだから」「いまのうちにやっておかないと」といった考え方は家事や仕事と向き合ってきた時代の考え方です。「つらいけどやらなくちゃ」というのはすべて義務感です。そういう義務感や、自分を追い込む考え方からは解放されていいのが高齢になるということだと思います。


 
 
 年を重ねることが怖くならなくなったような気がします。