動画投稿者と評価される数字との向き合い方を考える。
動画投稿をしていると否が応でも評価する数字と向き合うことになりますよね。
再生数、いいねや高評価、フォロワー数にチャンネル登録者数。
数字が増えれば嬉しいですが、ときにその数字が重荷になることもままあると思います。
数字は定量的な指標なので比較できてしまいます。たとえば周りに人気の動画投稿者がいれば達成報告とかがあればチクッと嫉妬心が浮かぶこともままあります。
そんな折、こんな記事を見かけました。
(ご本人に引用許可をいただけたので取り上げてみます)
内容としてはニコニコ動画のランキングにおけるいいねの重要さと、そのいいねをどうやって増やすか、ということを自身の動画に実践しながら効果的な手法を探るものになります。
いいねをもらえることのメリットは、ランキングに載って動画を多くの人に見てもらえることとあります。
ふと思い返すと、私自身はいいねをもらえるような構造をあまり考えたことないので新鮮でした。
……私、そんな数字とほとんど無縁に過ごしておきながら動画投稿歴も三年が経ってましたね。
もうすこし突っ込んで考えると、動画投稿を続けるモチベーションにいいねなどの評価を関与させたほうが良い刺激になるのでしょうか?
これを機にいいね、というものを考えてみました。
いいね、って存在する意味はなんでしょうね?
今日はそんな、いいねや高評価数といった、動画投稿者が関わる数字たちと向き合って考えてみましょう、という回です。
今回は先に結論から。
数字を利用して中毒性をもたらす作りにしているのはプラットフォーム側。
その数字に意味を持たせるのは人間側。
です。
(ちなみにいろいろ調べてたらめっちゃ長くなりました)
これは単なるひがみなのでは?
この手のお話は「零細投稿者のひがみだ!」というご感想を持たれるので先回りしておきます。そのとおりです。
私の投稿動画はたいてい200~500再生とかを推移している零細投稿者です。
ご覧の通り、今まであんまりその手の数字を意識したことなかったんですよね。
トークソフトを使ってゲーム実況をしたくて動画投稿をはじめ、なんか自分が使っている編集ツールの情報がないからなるべく残しておくかー、と解説を作ってみたら需要があって数字が伸びてました。
もともとこうして書き残したり形にすることは好きなのと、マイナーな解説も需要があるかもしれないのでなるべくアウトプットすることにしています。
今でこそそこそこの方に(解説系は)見てもらえるようになっていますが、タイミングがよかっただけだと思ってますね。
いいねはどうして必要なのか?
ということで先に挙げたいいねの存在意義について、ちょっと気になったのでここ1ヶ月ほどいろいろ調べてみました。
今回は参考文献としてこちらの書籍をお借りしてみます。
ここによるといいねの発祥は遠くまでさかのぼらないといけませんが、そのいいねをシステムとして大きく昇華させたのはFaceBookのようです。
現代は娯楽や情報の流れが早く、情報の価値感は判断しにくくなっています。流れてくるコンテンツは常に増え続け、より良いコンテンツを取捨選択する労苦をともなうようになりました。
そんな中でSNSや動画プラットフォームは「おすすめ」や「ランキング」といった形式で高い評価を受けたコンテンツを選り分けてくれています。
ともすれば、現代はネットに流れるコンテンツの善し悪しを、コンテンツそのものを見るのではなく、そのコンテンツにつけられた評価の数をもとに判断しているといってもいいでしょう。
評価を受けたコンテンツは多くの目に留まるようにレコメンド用のアルゴリズムに押し上げられていきます。このようなシステムが存在する理由は、より良いコンテンツを増やし、供給を続けて、プラットフォームにつなぎ止めるためです。
プラットフォームというのは動画であればYouTubeであり、ニコニコ動画です。現在ではほとんどすべてのUGC(User Generated Contents.一般ユーザーによって制作・生成されたコンテンツ)サイトで行われていることです。
つまり、いいねの存在意義はプラットフォームの戦略として必要なものだから存在している。ってことになります。
しかし、私の場合それらの数字をモチベーションにしてきたか、といわれるとどうも違う気がしました。
また、いいねを増やし、ランキングに載り、フォロワー数を増やし、その先のことを考えてもなにか嬉しいことがあるかといわれると、特に見当たらない気がしました。
フォロワー数やチャンネル登録者数の増加による影響
フォロワー数、チャンネル登録者数を増やせると、人気の動画投稿者になれて、人気の動画投稿者と話ができる、というメリットが思いつきます。
でも、私はあまり動画投稿者に身を入れないタチですし、どことも知らない人気の人と話せるようになって、それでなにかあるかといわれると、なにも思い至りません。創作をするにあたって、いわゆる「有名な動画の中の人」と交流できるのはどうでもいいらしいです。
(余談ですが、有名なクリエイターの創作物は好きでも、その人の日常を見たいか、というのはまた違いますよね)
チャンネル登録者数を増やすとどうでしょう。
先日畏れ多くも達成できた1000人の壁は収益化に必要な数字です。
(そのほかに総動画再生時間4000時間も関わるのですが、こちらは置いておいて)
収益化を行うなら動画の再生によってお金が入るわけで、動画の再生による広告収入はいくらくらいになるのでしょうか?
さらに投稿ジャンルによって広告収入の単価はばらつきがあるそうです。以下の場合は単価が下がるそうです。
この広告収入の単価は一般的な登録者数なら1再生0.1円以下となっています。
これだと、月々に動画が10万再生されるようになっても収入としては1万円です。
広告収入による収入を期待するには到底釣り合わない数字に見えます。
メンバーシップ、スーパーチャット、コミュニティの運営、グッズの販売など、手広くやっていかなければまとまった収入は得られなさそうです。いかにVTuberの方々が苦労しているかが見えますね。スゴいですよね。
こんなことなら、動画編集にかける時間があればささっと残業をしたほうが普通は稼げるはずです。(この記事を書いている人は月々数十時間の残業に苦しめられていますけどね?)
フォロー数、チャンネル登録者数を伸ばし続けてもそこに着地点はないように見えます。
これらを踏まえると、こういった数字をモチベーションのより所にすることに危うさを覚えます。
数字に意味を与えること
先述したように、いいねが必要なのはそれを利用してプラットフォーム側が中毒性をもたらす作りにしたいからです。視聴者数が増えることで、ユーザーの利用時間の増加につなげられ、広告などの収益を多く得ることができます。
そして、戦略的に作られた数字に意味を持たせ、価値があると思うのは数字に関わる人間側です。
いいねを増やし、フォロワーを増やし、その先に意味があるかはその人の意志に依りますが、精神状態としては危うさを秘めています。それはSNSやプラットフォームが周囲からの評価や効率性を尊ぶ構造を増長し続けているからです。
これは、先ほど引用した書籍から得た知見です。その判断につながった部分を引用してみます。
文中で挙げている「アダム Ⅰ」「アダムⅡ」は対称的な心理構造です。
元来この二つが共存することで自己の成長と周囲との協調性を確保できていたのが、近年は社会的な成功を求めることのみが正義と吹聴されています。これは動画投稿活動をしている我々も渦中にいることです。
そして、いいねが指標として相手に見える構造が、ときに自分を不幸につなげてしまいます。
元来、人間が絵や音楽、動画投稿などの創作活動のモチベーションを湧かせる理由は劣等感から生まれているといわれています。
古来より他人と比較し続けている心理構造をする私たちは、この数字の向き合い方を考え直すことも必要に思えます。
動画というメディアはプラットフォームと、そこを訪れる視聴者ありきなのですから。
先に挙げたように、数字に意味を持たせるのは数字を見た人間側なのですから、その意味を再定義することも可能なはずです。ここに、本来の創作活動につなげる猶予が介在します。
変動する数字の捉え方
ここからは私の捉え方の話になります。
たとえば、私が創作活動に向ける熱は、頭の内部でぐるぐるぐつぐつとした入り交じった感情を吐き出したい、べつの何かの形にまとめたいという欲求が底にあります。
それはたいてい、物語の形式をともなって形作られています。
たとえば、去年の12月に作った劇場動画のテーマは
「理想の他者とは、自分の頭の中だけにいる」
つまり、
「友達や気を許した存在は、相手の中に自分の理想を描いているだけ」
というのを物語にしてみるという試みになっていました。
私は他人の考え方とズレが起こったり、他人の思考の仕方を不思議に思うことが多く、心理学の書籍をよく当たるんですが、ここからそういう触発を受けていました。
こういうことから書き起こすのってあんまりいなさそうですよね。だからこういう方向性で動画を作ってみてもいいなーと最近は思っています。
すこし脇道にそれましたが、こういう動画を上げたあとに「もらって嬉しい数字」というのがあります。
いいね、再生数、コメント、投稿した動画の数字は関わるのですが、「その動画をキッカケに別の動画にも数字が増える」と特に嬉しいですよね。
ほかにも、ひっそりシリーズの最初のマイリスト数が増えていたり、扱っているトークソフトのキャラクターが好きと公言する人にフォローされたりとか。
こういう、人の流れが感じられる数字は、丁寧に観てくれている人の姿が想像できて楽しくなります。でも、この数字自体はすぐ見過ごされてしまう、ごく小さい数字の変動に過ぎません。
大切なのは小さな数字でも、人が足を運んだ、という記録です。
数字との向き合い方
こと、VOICEROIDやCeVIOといった合成音声ソフトを使った動画はニコニコ動画で受け容れられやすい土壌ができています。
特定のキャラクターが好きで観てくれる場合もありますし、ゲームならそのジャンルを常に追っている人もいます。
そういった方々がやがて「この人の作った動画なら観たい」とジャンルを問わないようになってくれるのが私としては一番目指したいことですね。
そもそも、100人、200人が十数分も目を留めてくれるメディアってそうそうないのです。
イラストはばんばん新しいものが流れてマークを付けて次に次にと流され、小説を書いても常に更新し続けなければ目に触れられることもありません。
今でも何百人が自分の作った創作物を観ていると思うと現実感がないくらいです。
ただ、現在はどんな創作も他人の評価が目に付きやすくなっていて、その数字の違いに圧倒されそうになります。
観たくなくても目に映る。そういうときはどうするか。
そういう数字を気にする人の縁をバッサリ切りましょう。
私はそういう数字と向き合って疲れるのが嫌なのでフォローなども極力避けて目に触れないようにしています。他人の評価に自分の創作活動は関係ないのですし。
この世に完璧な人間なんていません。どうしたって人間は他人と比べて劣っている所があります。劣等感は必ず訪れてきます。
だったらそういう自分を受け容れて、創作に注力できる環境を作る。
増えた数字そのものではなく、数字の中に存在する人を考える。
そういった人へ、いいものを届けられるようにする。
そういう循環ができるようにすると、数字と良い付き合い方ができるんじゃないでしょうかね。
ということで、私の考え方でした!
最近はどこもあらゆる数字が増えていってしまうので、この精神を崩さないようにしたいと思います。
(発言力が増えたら批判コメントとかが来るようになって面倒が増えそうですしそこそこのままがいいです)