12/14 ディボーション 幸いな人 イザヤ書 63:7-14
聖書箇所 イザヤ書 63:7-14
"私は主の恵みを語り告げる。主の奇しいみわざの数々を。主が与えてくださったすべてのことを。そのあわれみと豊かな恵みにしたがって与えてくださった、イスラエルの家への豊かな恵みを。
主は言われた。「まことに、彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」と。こうして主は彼らの救い主になられた。
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。
しかし彼らは逆らって、主の聖なる御霊を悲しませたので、主は彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。
そのとき、主の民はいにしえのモーセの日を思い出した。彼らを、ご自分の群れの牧者たちとともに海から導き上った方は、どこにおられるのか。その中に主の聖なる御霊を置いた方は、どこにおられるのか。
その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、彼らの前で水を分けて、永遠の名を成し、
彼らに深みの底を歩ませた方は、どこにおられるのか。荒野の中を行く馬のように、彼らはつまずくことはなかった。
谷に下る家畜のように、主の御霊が彼らを憩わせた。このようにして、あなたはご自分の民を導き、ご自分のために輝かしい名を成されました。"
イザヤ書 63章7~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
最初に示されたこと
終わりの時に信仰の導き手である相応しい僕者が与えられないのは心が頑なで主に謙ることがなく主を悲しませているからである
内容のまとめ
預言者は、神様の恵みを語ります。神様がイスラエルを愛し、救い出されたこと、彼らが逆らう時には懲らしめられたことを語り告げます。懲らしめを受けた時、民は神様の救いを思い出します。
静聴と観察
<御父の愛>7〜9節 御父はどんな時でも見放さずあわれみと豊かな恵みを持って愛される
<御父の懲らしめ>10節 主を悲しませるのであれば主は愛故に懲らしめを行う
<主の目に叶った牧者>11〜14節 主に従順であろうとすれば例え行いが悪くても主の目に叶った牧者が与えられる。
適用
主は、いついかなる時も愛してくださっていることを確信したい。終わりの時にモーセのような牧者が与えられないのは主の愛ゆえの懲らしめであって、私達の信仰を鍛えるためであると信じ、主に謙ってその牧者がもたらされるのを祈りたい。
祈り
主よ。いついかなる時もあなたは愛してくださっていることに感謝します。今、終わりの時にモーセのような牧者が与えられないのは、私たちがあなたに謙り従順でないからであることを深く懺悔します。どうか、私たちの信仰を正しく導く牧者を与えて下さい。
アーメン