父と一緒に母のお見舞い、からの、父とうな重ランチした時のこと。
仕事とかでバタバタで、noteも書いてませんでしたが💦
先週の土曜日に、父と一緒に母のお見舞いに行ったので、その日のことを記録しておきます✏️
食べたり飲んだりが殆ど出来なくなり、頚管静脈栄養摂取となって、緩和ケア病棟に入院した母。
私はこの日の2時半くらいに実家に行き、実家から母の入院する病院まで、父と一緒に電車で行きました。
道中父から、やり手の緩和ケア医の先生から聞いた、母の今後の治療方針を聞きました。
癌は幸い肝臓に転移しておらず、肺には転移しているものの気管支を塞いでいないので、呼吸に支障はない。
口からは食べられなくても、肝臓と肺の機能が保たれていれば、結構、頚管静脈栄養補給で生きながらえる事ができるので、
母はとりあえず退院することになりました。
父と一緒に、緩和ケア病棟にある母の病室に入るまで、私は母の変わり果てた弱った姿を想像していましたが…
頚管静脈栄養の効果あってか、この日ベッドの上にいた母は、意外と普通でした。顔色も良かったし、眼力も前回妹の施設の昼食交流会に一緒に行った時よりも、ありました。
そんな母の様子を見て、少し安心しました😮💨
私は母に、その数日前にTジョイ大泉に行って映画を観た時に撮った、母との思い出の場所の写真を見せてあげました。
高速道路の下の、びくに児童遊園や、土支田公園。
「あの頃と変わらないね〜!」
と、一緒に見ていた父も懐かしそうに笑っていました。
通っていた北大泉保育園に、私と妹を迎えに行く時、父は車でしたが、母は免許を持っていなかったので、自転車でした。
この坂を、妹を前に、私を後ろに乗せて自転車を押していた母。
当時、電動自転車もなかったから、お母さん私と妹を乗せてこの坂上がるの、大変だったでしょ〜と言うと、
母は喉のリンパ腺にできた腫瘍で声があまり出せなくても、懐かしそうに、嬉しそうに、笑ってくれました☺️
私もそれが一番嬉しかったです🍀
そんな昔話に花を咲かせた帰り際、私が母に
「じゃ、お母さん、また来週ね!」
と言って手を握ると、
母は一瞬眉を下げて、寂しそうな顔をしました😔
ちょっとビックリしました…
その後、母の入院してる病院からほど近い神楽坂に父と行き、父とランチをしました。
この日父と神楽坂に来るまで知らなかったのですが、あの老舗甘味処の紀の善が、後継者が見つからず閉店して、
跡地に鰻屋さんが出来たそうで…
私と父はその鰻屋さんに行き、ふたりとも、うな重の松を頂きました🍴
母が去年の夏に倒れて救急搬送されてから、父はほとんど外食をしておらず、
私とここでうな重ランチしたのが、高校の同窓会で先日焼肉屋に行ってから、母が倒れて以来の2度目の外食だったそうです…
ヘルパーさんが作ってくれるお料理も美味しいですが、たまには外食も良いね、と父は言っていました。
鰻は新鮮で弾力があり、焼き加減や味付けが上手で美味しかったです✨
紀ノ善に続く神楽坂の名店になって、末永く頑張って欲しいと思いました💪
うな重を食べながら、父と一緒に、
「お母さんは平均寿命よりは早くなくなるけど、きっと自分の人生に満足しているよね。」
と話しました。
で、今週の火曜日に、母は無事に退院してきました。母は体にチューブを複数付いていますが、痛みも落ち着いているとのことです。
緩和ケア医の先生の勧めにより、痛みの緩和などのため、もう一度母は放射線治療を受けることになりそうです。
私も父も今は現実を受け入れることは出来ているので、あとは最後の最後まで母が母らしく生き抜けるように、
父と協力しながら頑張りたいと思います!
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