残り2ヶ月 クージービーチとアパート暮らし
3キロ太ってシドニーへ戻った私がまず最初にしたことは引っ越しだった。引っ越しといっても、大きなバッグ一つしかなかったので、バスに乗って引っ越し先に行っただけだったが…
旅行に一緒に行った久美子が間もなく帰国するということで、そのアパートに空き部屋がでる。見てみるとクージービーチまで水着のまま歩いて行け、楽しそうなお店なんかもある町で、一目で気に入った。ジョンソン夫妻の所で居候するのも少し気が咎めていたので、即決した。ジョンソン夫妻は私が出て行くというので心配されたが、居心地はとても良く快適に過ごせた事、友達の所で暮らしたいという事、を説明すると納得し笑顔で送り出してくれた。
そのアパートには、久美子と久美子の友達の日本人とその友達のオーストラリア人とが住んでいた。私が引っ越して間もなく、コンティキツアーで知り合ったカナダ人のBettyが転がりこんできた。Bettyは仕事を辞めて長期旅行で親友のJacquiとオーストラリアに来ていたので、彼女も自由気ままだった。Jacquiは仕事があるのでツアーの後帰国した。
という事で、不思議な共同生活が始まった。日本でも最近増えてきたが、海外では家賃を少しでも安く上げるため、アパートをシェアするのは常識だ。
久美子が帰国し、残りの2ヶ月はBettyといつも一緒に遊んだ。ビーチに行ってボーっとしたり、その横にある無料のプールでアップアップしたり。Bettyは私に沢山の英語のシャワーを浴びせてくれた。私もお返しに日本語シャワーを浴びせようと思ったが、興味がないらしく「おはよう」だけ覚えた程度だった。Bettyは常識あるカナダ人でとても気があった。Bettyとの交流は帰国後もずっと続いていくこととなる。その話は今後カナダ編の所にでてくることとなるが、今でも良い友達で、カナダに行く時には必ず会うし、メールのやりとりもしている。ひょんな出会いから31年間も絶えず交流が続いているのは奇跡のようなものだ。大切な出会いに感謝する。
たっぷりと時間があり、ストレスは一つもなく、とても自由な生活はあっという間に過ぎていった。「このまま時よ止まれ!」と思っても止まるわけはなかった。帰国の日が来て、私は6ヶ月で6キロ太った体で、シドニーを泣く泣く後にした。その際パスポートをシャツの中に入れる事はもうしなかった。