暗いOLの日々
高校の進路相談室で、あまり数のない求人情報のファイルをパラパラっとめくっていたら「岩田屋」(百貨店)の求人が目に留まった。目に留まった最大の理由はボーナスが年3回という所だった。(後に春のボーナスは雀の涙である事が判明)。北九州市と福岡市の間のベッドタウンに住んでいた私は、「福岡市内の繁華街に毎日行けるなんていいな」「どんな楽しいことがあるんだろう?」と心躍らせた。とんとん拍子に私の就職は決まった。本当に何も考えていない、世間知らずな18才だった。高校生活最後の部活も終わり、就職も決まり、運転免許も取得し、仕事が始まるまでの毎日は、本当に楽しかった。調子にのって仕事も始めていないのに、頭金なしのローンで車まで買った。(後悔する事となる。)
4月になり、私のOL生活は始まった。実家から駅迄はローンで買った車で10分。駅から博多まではJRで35分~45分。それから地下鉄に乗り換えて6分位。乗り換えがあるのでトータル1時間は軽く片道でかかった。JRでは座れる日もあれば、立ちっぱなしの日もあった。仕事で一日中立ちっ放しだったので、帰りに座れないと若い当時でさえもちょっとこたえた。「仕事は?」というと、まずどこかの山の中で研修があった。何をしたかよく覚えていないけど、座禅を組んだ事だけは覚えている。それから配属先の希望を書きなさい、と言われた紙に、第一希望「紳士服売り場」と書いた。何故そう書いたのかも覚えていない。結局配属先は一階の化粧雑貨に決まった。お化粧をビシッと決め込んだお姉様方の間に、こじんまりと位置する化粧雑貨売り場。鏡やポーチ等を売っていた。それまで自分自身で買い物をした経験も殆どなく、接客などスムーズにできるわけもなかった。なのに、同じ売り場の先輩達は、優しく色々と教えてくれた。接客、レジ、商品の補充。これが最初の仕事だった。仕事にまだ慣れていない5月、博多どんたくがあった。新入社員は招集され、お揃いの服を着せられ、ボンボンかなにかをもってパレードに参加しなければいけなかった。幸いやる気のない私は、お揃いの服を最後に貰いに行ったので、サイズが合うのがなく、Tシャツに短パン、とお揃いの服よりも、ましないでたちをする事ができることとなった。私の役目は風船配りだった。その頃すでに「これは私がやりたいことじゃない」と思い始めていた。入社1ヶ月にして、である。それで早々に人事担当の人に「辞めたい」と言いにいった。なんとも根性のない人間である。担当の人から「ご両親には相談したの?」と言われ「していません」と私が言うと、まず両親と話し合いなさい、と諭され帰された。両親には言えなかった。入社早々「辞めたい」なんて。
博多どんたくの日、私はとんでもない行動にでた。スポーツバッグに身の回りの物を入れ、岩田屋でなく、福岡空港へ向かった。空港から人事に電話し「辞めます」と言った。東京行きのチケットを買い、搭乗手続きを済ませた。東京に行けば、なんとかなるかもしれない、と思った。飛行機の出発時間まで暫くあった。その間、色々な事が頭の中を駆け巡った。まず、両親は激怒することだろう。(何も言わずに飛び出したのだから)化粧雑貨売り場の人は呆れるだろう。でも東京で立派になれば、そのうちみんなわかってくれるだろう。
いや、ローンで買った車はどうしよう? 体も心も重く、八方ふさがりのような気がした。とにかくローンで買った車が気になった。結局東京行きの飛行機には乗らなかった。チェックインした荷物だけが、東京まで行った。