18才、家出未遂事件後の私
両親をはじめ多くの大人から「石の上にも三年」どんな仕事も辛い事の方が多い、仕事が一人前にやれるようになって初めて人間的に成長するんだ、一つの事がやれない人間は何をやっても駄目だ、と延々と説教された。「3年とにかく頑張りなさい」と言われ、「よし、じゃあ3年間やってみよう」と気分を入れかえ、私のOL生活は再スタートした。先ずは一流の販売員を目指し、毎日真面目に仕事に取り組むことにした。
職場の皆は温かく見守ってくれた。笑顔で帰って行くお客さまを見送り、充実感に浸ることもあった。通勤は相変わらずしんどかったけれど、仕事が終わり、食事に行ったり遊びに行ったりして、毎日を楽しんだ。仕事も少しずつできるようになっていった。入社から1年後、同じ一階のハンカチ売り場に異動を告げられた。当時岩田屋のハンカチ売り場は、売り場面積あたりの売上高が日本一だったらしい。それは、販売員はむちゃくちゃ忙しい事を意味していた。開店から閉店まで、お客さまがひくことはめったになかった。お客様がいない時にはガラガラになった商品の補充に追われた。進物が多いので、私はハンカチの箱詰めと包装を、もの凄いスピードで、その上ビシッときれいにできるようになっていった。暫くは私の周りの人にとっての平穏な日々が続いた。
そうしている毎日の中でも、私の中で「これでいいの?」という問いかけは消えることはなかった。高卒、女性。いくら女性に開かれた百貨店の職場でも、昇進して行くことは難しいだろう、と半人前のくせにそんなことだけは考えた。ただ、すぐに転職をしようとしてもいい仕事などないし、何の取り柄もない私は、どこに行っても同じだという事を、その時には自分なりに理解していた。そんなある日、ひらめいた。
「働きながら何か特技を身につけよう」理数系が駄目な私は、資格の本を買い、消去法で自分に合ったものを探していった。たどりついたのは、英語だった。それが直接仕事に結びつくかどうかは分からないけれど、転職の時に有利になりそうな気がした。それから私の英語勉強人生が始まった。