最大最善の幸せ設計は、自分で選ぶこと

これは、今年正月に、一発書きで書いていたライティングゼミ5000文字課題の一つ。今思えば、こういう内容の方が、最終提出した方がよかったんじゃないかなとは思うけれど、まあ、供養も兼ねて公開してみる。

私たちの毎日は、選ぶことの連続だ。


 私たちの毎日は、選ぶことの連続だ。朝、何時に起きるかから始まり、何を食べるか、どこへ行くか、誰と逢うか、何時に寝るかまで全て、自分が選んだスケジュールで1日が過ぎていく。
 そんなことは無い。と思う人が居れば、残念ながら、その人は自分の人生を他人任せにしすぎているのだろう。義務であるとしても、最終行動するかどうかは、結局、3歳でも80歳でも、その人が決めることだ。生まれたての赤ちゃんですら、自分の身体の声に従って寝たり、排泄したりする。これはおかあさんがいくら寝かしつけようとしても、赤ちゃん本人が眠くなければ、まったく成功しないし、今オムツを変えたばかりなのに、またすぐおしっこやウンチをしてしまうのも、全て自分軸で活動しているからである。

最近、どうも、自分軸で生きることを制限されているように思えて仕方がない。仮にも、自然療法者の端くれとして、他人の身体をケアしている人間として感じるのは、考えることを敢えてさせないようにしている人たちが世の中のいろんなところに潜んでいるように思うからだ。

学ぶ楽しさとは何か

身体のつくりや仕組みを学ぼうと思えば、今は誰でも自分で勉強できるすごい時代だ。100年前、日本がちょうど西洋文化を積極的に取り入れ、国際社会にようやく馴染んできたころだけど、学校教育と言うモノもやっと国民全体に行き届くようになったころだ。そうはいっても、最低限の読み書きそろばん程度で直ぐに働いていた10代の子どもたちは少なくなかったし、専門的な勉強を出来るのは、町で一番成績が良い優等生やお金持ちの家に浮かれた子どもだけだった。それを思えば、パソコン一台さえあれば、世界中のありとあらゆる情報を一瞬で検索して調べることができる今の時代は、本当に恵まれていると思う。
ただ、残念なことに、世の中は勉強が好きで楽しいと思える、私のような知的好奇心の塊のような人ばかりでは無い。

「勉強なんて嫌だ」
「勉強なんて楽しくない」


おそらく、そう思い込んでいる人の方が多いのだと思う。思うというのは、大人になって自分が仲良くなりたいと思う人たちは、
「新しいコトを知りたい」
「学ぶことは楽しい」
と感じる人がほとんどだからだ。
子どものころは逆に、「どうして皆、同じ先生から教わっているのに、テストであんなに苦労しているんだろう?」と不思議でしかなかった。勿論、その後、高校時代に「興味がわかないことはなかなか頭に入ってこない」という事実を知って、納得したのだが。

義務教育は、ある意味、社畜教育だったのだな、と自営業をし続けて実感する。朝8時半から夕方まで、与えられた時間割を60~90分の間で、ただひたすら受け身の姿勢で学ばせられる。学校の勉強は、まるで「自発的に勉強する」ということを諦めさせるような雰囲気が有る。そう書くと、全国で毎日、教えることを続けている先生の皆さんには失礼だとは思う。
でも、よーく思い出してほしい。

「この先生、分かり易くて面白いなぁ」

そんな先生と出逢った事がある人、どのくらいいるだろうか?

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