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20代終盤

20代後半戦で大人の発達障害診断が出ました。 十数年も昔の頃はまだ知る人ぞ知ると言うレベルの診断名でしたが、それでもそれまでの人生であった様々な不可解な事に理由があったと言う事がわかったのは安心感すらありました。   その後、しばらくは神奈川県内に借りていたアパートで一人暮らしをしながら製造業関係の仕事をして何とか生計をたてつつひっそりと通院もしていました。  ただ先行きが見通せずに生活は全体的に荒れ気味で、現状では一旦このアパートは引き払わざるを得ないと判断し、東京永住予定で上京したはずでしたが、やむなく北海道に戻る事にしました。


いよいよ30代も見え始めてきた頃、再び北海道での生活が始まりました。 これ以降の出来事は今日までつながっている箇所も多いので、あまり詳しい事は控えさせて頂きます。  通院先に関しては何ヵ所かのクリニックを転々とする事となりました。  当時は良かれと判断していた所でも、今振り返ると大失敗だった所もあります。  ちなみに現在通っているクリニックはこの春で通院10年目に突入したようです。  


北海道に戻ってきた後に、思う所があり宅地建物取引主任者試験(当時)と行政書士試験に合格しました。 どちらも有資格者と言う状態で実務に従事している訳ではありません。  他にも挑戦した事はあるものの不合格だった資格がいくつかあります。  また本州にいた時に比べて結構色々と読書をするようになりました。  大人になってからも色々と知識を吸収していると、意外な時に役に立つ事も何度もありました。


10代の頃は上京する事しか頭にありませんでしたが、東京・神奈川での生活を経験して戻ってくると、北海道の生活の良さも実感する事が結構ありました。 大都会に比べれば不便だったり退屈に思える時も少なくありません。  それでも未成年の頃はスルーしていたような物事にも面白みを発見できるのは年のせいかもしれません。




以上で、とりあえず自叙伝?の概論はひとまず終了になります。  しばらくはお休みの予定ですが、余裕が出来次第、各論的な話やテーマ別に分析するような記事、またコラム的な雑談なども投稿できればと構想中ですが……案外放置になる可能性も否めません。


昭和末期に幼稚園で加配的な先生が付き療育を受け、就学時には養護学校入学の打診もあったが結果的に地域の公立小学校の普通学級に入学し、以降中学・高校も普通学級に通い何とか卒業しました。 その後1年の浪人を経て東京都内の知名度はある私立大学に進学し、4年で卒業しました。  以降は職を転々とし紆余曲折あり、現在40代前半となりました。  日本国内でもかなり珍しいタイプの事例だとは思います。  『幼少期に療育を受けた事がある当事者本人による情報発信』と言う点で、微力ながらでも若い世代の当事者やその周囲にいる皆様方に何らかの参考になれば幸いです。

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